武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
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王粛(子雍) | オウシュク(シヨウ) | 男 | 195 | 209 |
王粛の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
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36 | 22 | 76 | 78 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
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C | C | C | – | 弁舌 | 動揺挑発 | 宰相 |
王粛の列伝
王朗の子。王元姫の父。魏の黄門侍郎。
三国志演義では
230年、蜀を攻めた曹真と司馬懿が長雨で苦戦すると撤退を奏上。毌丘倹の反乱時、反乱軍の家族を厚遇して士気を緩める策(呂蒙が関羽討伐で採用)を司馬師に献じる。司馬師の死後、司馬昭に封爵を与えるよう曹髦に進言。娘は司馬昭の妻となり、司馬炎、司馬攸を生む。
正史では
18歳で宋忠から「太玄経」を学んだ。広平太守、侍中、太常などを歴任。鄭玄[ジョウゲン]の学説に反対して「尚書」「詩経」などに注釈を加え、「孔子家語[コウシケゴ]」を偽作した。