武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
---|---|---|---|---|
張遼(文遠) | チョウリョウ(ブンエン) | 男 | 169 | 184 |
張遼の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
---|---|---|---|
94 | 92 | 78 | 58 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
---|---|---|---|---|---|---|
A | S | B | 騎馬調練 | 豪傑 | 驍将疾駆 | 驍名震天 |
張遼の列伝
呂布の武将。後に曹操に仕える。張虎の父。
三国志演義では
呂布が下邳で敗死した時に捕らえられ、劉備と関羽の勧めで曹操に登用される。曹操軍が関羽を下邳に包囲した時は関羽に降伏を説いた。官渡の戦いの後、烏丸討伐を指揮し、白狼山で蹋頓を討つ。赤壁の戦い後は合肥に入り、魏呉国境を守る。215年、李典、楽進と共に逍遥津[ショウヨウシン]で孫権軍を大破し、その名を聞けば泣く子も黙ると恐れられた。224年、曹丕に従って呉を攻めた際に丁奉の矢を受け、間もなく死亡した。
正史では
222年、曹休と共に呉の呂範を破り、直後に病死。