武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
---|---|---|---|---|
諸葛瞻(思遠) | ショカツセン(シエン) | 男 | 227 | 241 |
諸葛瞻の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
---|---|---|---|
70 | 57 | 76 | 72 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
---|---|---|---|---|---|---|
B | B | A | – | 兵器 | 偽報 | 明鏡止水 |
諸葛瞻の列伝
蜀の丞相・諸葛亮の長子。母は黄氏(月英)。諸葛尚の父。劉禅の娘を妻に迎え、父の爵位を受け継ぐ。
三国志演義では
261年、行軍護衛将軍に任ぜられるが、黄皓が政権を握っていたため、病と称して屋敷に籠もる。263年、蜀に侵攻した鄧艾を綿竹関で迎撃。緒戦は子の諸葛尚と共に諸葛亮の木像を掲げて撃退に成功する。鄧艾の降伏勧告を拒否し尚も戦おうとするが、要請していた呉の援軍を待ちきれずに再度出陣し、負傷して自害した。
正史では
蜀を守ることはできなかったが、蜀を裏切らず亡父の志に従った忠孝を称えられた。書画に巧みだった。