武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
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鍾繇(元常) | ショウヨウ(ゲンジョウ) | 男 | 151 | 184 |
鍾繇の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
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70 | 24 | 77 | 93 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
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C | B | B | 和気生財 | 文化 | 偽報動揺 | 高論卓説 |
鍾繇の列伝
魏の重臣。鍾毓、鍾会の父。
三国志演義では
曹操に仕え、長安太守となる。211年、馬超と韓遂に攻められ、長安を奪われた。曹操が魏王になると相国に任ぜられ、曹叡の代には太傅となった。諸葛亮が北伐を起こすと、迎撃の指揮官に司馬懿を推薦した。
正史では
李傕と郭汜の支配下にある長安で献帝に仕え、後に荀彧の推薦で曹操に仕えた。袁家との戦いでは馬超を指揮して郭援を撃破する一方、後方支援に尽力し、漢の蕭何[ショウカ]に匹敵する働きと称賛された。219年、謀反を起こした魏諷の推薦者として一時的に免職された。