武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
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公孫瓚(伯珪) | コウソンサン(ハクケイ) | 男 | 152 | 184 |
公孫瓚の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
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81 | 80 | 71 | 53 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
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B | A | B | 騎馬調練 | 訓練 | 騎兵速攻陣 | 白馬将軍 |
公孫瓚の列伝
盧植門下で劉備の兄弟子。白馬義従と呼ばれる精鋭騎兵を率いて異民族を討伐し、「白馬将軍」の異名を取る。
三国志演義では
北平太守。曹操の呼びかけに応じ、劉備を伴って反董卓連合に加わるが、虎牢関の戦いで呂布に敗れた。連合解散後、袁紹と冀州を巡って争い界橋の戦いに臨む。劣勢だったが趙雲や劉備の協力を得て挽回し、董卓の仲裁で講和した。袁紹との戦いが再開すると次第に追いつめられ、易京に籠もって抗戦するが、力尽き自害した。
正史では
董卓討伐軍には加わっていない。袁術と結んで袁紹と対抗し、袁紹派の幽州牧・劉虞を討った。