糜氏(ビシ):劉禅を趙雲に託し、井戸に身を投げた!

糜氏(ビシ)とは?

糜氏ビシは、劉備リュウビの第二夫人、糜竺ビジクの妹です。

井戸に身を投げて、趙雲に託す

208年、長坂坡で曹操軍に襲撃され、後退する劉備軍。

趙雲に護衛されていた甘氏・糜氏の二人と阿斗(劉禅の幼名)は、戦いの混乱の中ではぐれてしまいます。

趙雲たちとはぐれた糜氏は幼い阿斗をかかえて、自身もけがをしている状態でした。

火に焼かれて崩れた土塀のそばの枯れ井戸のところで、動けないので座り込んで泣いていたところに、糜氏と阿斗を探していた趙雲が発見します。

趙雲に見つけてもらえた糜氏はよろこびます。

糜氏「この子(阿斗)を無事に父親(劉備)のもとへ届けてください。
そうしてもらえたら、わたしは死んでもかまいません。」

趙雲「どうぞ馬にお乗りください。
わたしは歩いて戦い、奥方さまをお守りして包囲網を突破します。」

糜氏「それはいけません。この子はあなたの保護を必要としています。
わたしは重傷を負ったので、死んでもかまいません。」

趙雲は、糜氏に馬に乗るように何度も勧めましたが、糜氏は足手まといになるとして承知しません。

そうこうしているうちに、曹操の追手が近くまで来ています。

すると、糜氏は抱いていた阿斗を地面に置いて、あっという間に枯れ井戸に身を投げて死んでしまいました。

糜氏は死んでしまったので、趙雲は井戸を曹操軍に見つからないように、井戸をふさぎました。

この後、阿斗は趙雲によって、父の劉備に無事に届けられました。

ところが、劉備は阿斗を地面に放り投げて、

劉備「おまえごときのために、もう少しで大将を失うところであった。」

と言い、劉備がわが子よりも将軍の趙雲を大切に考えていることに感激して、趙雲は涙します。

以上のように、糜氏のおかげで阿斗(後の劉禅)は、劉備のあとを継いで蜀の皇帝となることができた訳です。

でも、このとき劉禅がいなくなっていれば、劉備のあとを皇帝として諸葛亮が引き継いでいたのでは?という考えもしてしまいますね。

タイトルとURLをコピーしました