武将

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【三国志14】管承の武将能力値紹介

管承(カンショウ) 統率63 武力71 知力24 政治16 魅力25 青州の海賊。【演義】記述なし。【正史】三千人の手下を率い、山東半島沿岸を荒らしていた。河北制圧を進める曹操自らの討伐を受け、李典と楽進に追われて海上の島に逃げ込む。のち張郃に討伐された。
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【三国志14】姜叙の武将能力値紹介

姜叙(キョウジョ) 統率41 武力35 知力56 政治47 魅力65 涼州刺史・韋康の武将。楊阜の従兄。【演義】213年、韋康が馬超に殺されると、歴城で楊阜の訪問を受け、韋康の仇討ちを相談される。母親の励ましもあって挙兵を決意すると、趙昂、尹奉らも加えて馬超に反旗を翻す。激怒した馬超と交戦して敗れるが、夏侯淵の援軍を得て馬超を追い払った。しかしこの時、一時的に歴城を落とされ、母親を馬超に殺されている。【正史】演義と同様。
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【三国志14】関純の武将能力値紹介

関純(カンジュン) 統率35 武力38 知力70 政治59 魅力61 韓馥の幕僚。【演義】関純の名で登場。公孫瓚が冀州を攻めると聞いて動揺した韓馥の命を受け、袁紹を冀州に招き入れる使者となる。ただし、袁紹の狙いが冀州の乗っ取りだと看破していた関純は耿武と共に袁紹暗殺を画策。冀州に入った袁紹を待ち伏せしたが、文醜に返り討ちにされた。【正史】韓馥が袁紹に冀州を譲ろうとした際、耿武、李歴、沮授らと共に反対した。袁紹が冀州に入った後も耿武と共に韓馥を護衛していたが、袁紹の命を受けた田豊に密かに暗殺された。
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【三国志14】鞏志の武将能力値紹介

鞏志(キョウシ) 統率44 武力53 知力61 政治64 魅力48 武陵太守・金旋の配下。【演義】赤壁の戦いの後、劉備軍が南荊州に侵攻した際、攻め寄せる張飛を迎撃しようとする金旋を止めるが、聞き入れられず、斬られそうになる。出撃した金旋が張飛に敗れて武陵に帰還すると、城門から矢を放って金旋を射殺し、劉備軍に降伏した。その功績で劉備から武陵太守に任ぜられた。【正史】記述なし。
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【三国志14】環氏の武将能力値紹介

環氏(カンシ) 統率10 武力7 知力65 政治54 魅力66 曹操の側室。曹沖、曹據[ソウキョ]、曹宇の母。【演義】記述なし。【正史】徐州彭城の出身。曹操の側室となり、曹沖、曹據[ソウキョ]、曹宇を生む。のち曹丕から太妃の称号を与えられた。また次男の曹據は、曹丕から彭城王に封ぜられている。
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【三国志14】姜維の武将能力値紹介

姜維(キョウイ) 統率91 武力89 知力90 政治67 魅力80 魏の天水太守・馬遵の配下。後に蜀将となる。【演義】第1次北伐で蜀軍を迎撃し、一度は諸葛亮を破るが諸葛亮の策にはまって蜀軍に投降。以後は蜀将として諸葛亮の北伐に参加し、諸葛亮臨終の際に兵法を伝授された。諸葛亮の死後、出兵に消極的だった費禕が死ぬと、大将軍となって北伐を指揮。鍾会と鄧艾が蜀に攻め寄せた際、剣閣に籠もって抵抗するが、先に降った劉禅の命で降伏。蜀再興を志して鍾会と挙兵するが、敗死した。【正史】諸葛亮から、「馬良以上の才能の持ち主、涼州最高の人物」と絶賛された。
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【三国志14】甘氏の武将能力値紹介

甘氏(カンシ) 統率27 武力5 知力58 政治60 魅力72 劉備の妻。劉禅の母。【演義】糜氏と共に幾度となく捕われの身となるものの、いずれも無事に救い出され劉備との再会を果たしている。劉備に従いたどり着いた新野で劉禅を生んだ。劉禅の幼名「阿斗」は、甘氏が北斗七星を呑む夢を見て懐妊したことから。長坂坡の戦いでも一時消息不明となるが、趙雲に見つけ出され江夏へと逃げのびている。【正史】死後、南郡に葬られたが、のちに移葬され、劉備と合葬されている。
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【三国志14】季雍の武将能力値紹介

季雍(キヨウ) 統率63 武力52 知力41 政治40 魅力58 袁紹の武将。【演義】記述なし。【正史】公孫瓚に降伏し、袁紹軍の朱霊に攻められる。朱霊の家族を人質とした公孫瓚の援軍を得るが、家族の命を犠牲にする覚悟を決めた朱霊の攻撃を受け、生け捕られた。
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【三国志14】関索の武将能力値紹介

関索(カンサク) 統率73 武力88 知力54 政治45 魅力72 関羽の三男。【演義】関羽が荊州で敗死した際に負傷し、鮑家の荘園で療養していた。諸葛亮の南蛮討伐戦に先立って復帰し、先鋒となる。たびたび孟獲を捕らえる作戦で活躍した。【正史】記述なし。「花関索伝」など関索を題材とした民間伝承は多く存在し、京劇の題材にもなっている。四川省に現存する鮑三娘墓には、関索とその妻・鮑三娘が葭萌関を守ったと記されている。
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【三国志14】丘力居の武将能力値紹介

丘力居(キュウリキキョ) 統率80 武力69 知力56 政治52 魅力60 烏桓の首領。楼班の父。蹋頓は従子。【演義】記述なし。【正史】遼西の5千余の集落を配下に置き、王を自称した。中山太守・張純が「弥天[ビテン]将軍・安定王」を自称して漢王朝に対して反乱すると、これと手を組み、幽州、冀州、青州、徐州の四つの州を荒らしまわる。幽州牧・劉虞が赴任して懐柔策を示すと、張純らを見限り恭順した。初平年間に丘力居は死亡したが、子の楼班が年少のため、従子の蹋頓が後を継いだ。
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