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【三国志14】句安の武将能力値紹介

句安(コウアン) 統率65 武力68 知力48 政治52 魅力45 蜀の武将。【演義】姜維が雍州を攻める際、麹山城に二つ城を築き、句安と李歆に守らせた。魏の郭淮と陳泰が廖化を集中して攻め立てたため、姜維は廖化を救援し撤退する。孤立した句安は包囲され、水と補給路を断たれてしまう。李歆は包囲を破り、命からがら姜維の元に辿り着くが救援は間に合わず、句安は魏に降伏する。のちに鍾会の蜀討伐軍に加わっている。【正史】演義と同様に、蜀から魏に寝返っている。
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【三国志14】呉懿の武将能力値紹介

呉懿(ゴイ) 統率82 武力72 知力69 政治70 魅力79 劉璋の武将。妹は劉璋の兄・劉瑁の妻。呉班の族兄。【演義】劉備が蜀に侵攻した時、劉循、呉蘭、雷銅と共に雒城[ラクジョウ]の張任らを救援するが、趙雲に捕らえられ臣従。未亡人の妹が劉備の皇后となり、劉永と劉理を生んだため、厚遇される。諸葛亮の北伐に参加し、諸葛亮の死後は車騎将軍となって漢中を守った。【正史】司馬懿と同じ名を避けて呉壱と記される。早くに父を失い、父と旧交のあった劉焉と共に蜀に入る。街亭の戦いで諸葛亮は馬謖を先鋒としたが、他の将は呉懿と魏延を推した。諸葛亮の死後、王平と共に漢中を守った。
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【三国志14】厳輿の武将能力値紹介

厳輿(ゲンヨ) 統率62 武力78 知力48 政治19 魅力23 「東呉の徳王」を自称する厳白虎の弟。【演義】孫策が江東に進出した際に、厳白虎の先鋒として楓橋[フウキョウ]で迎撃し、程普、蒋欽、陳武に敗れる。かなわずと見て和睦を決めた厳白虎の使者となって孫策と面会。厳白虎と孫策で江東を共同統治する案を出し、孫策の怒りを買って斬り殺された。【正史】武勇と敏捷な身のこなしで知られていた。和睦の前に抗戦した記述はない。和睦の席上、孫策に手戟で討たれ、その報せを聞いた厳白虎は恐れおののいた。
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【三国志14】厳白虎の武将能力値紹介

厳白虎(ゲンハクコ) 統率67 武力70 知力23 政治21 魅力43 「東呉の徳王」と自称し呉を占領した。【演義】江東に進出した孫策の攻撃を受け、弟の厳輿に迎撃させるが敗れたため、会稽の王朗を頼る。その後、会稽に攻め寄せた孫策軍に再び敗れ、余杭に逃げる途中、董襲に討ち取られた。【正史】呉郡の出身。1万の兵を率いて朝廷に抵抗する。孫策が江東に進出すると、呉郡太守の許貢、広陵太守の陳登らと連係して抗戦した。敗れると許昭の配下を頼って逃走。王朗が敗れた後も抵抗を続けており、殺害されたという記述はない。
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【三国志14】丘建の武将能力値紹介

丘建(キュウケン) 統率40 武力52 知力65 政治52 魅力55 魏の武将。【演義】元は胡烈の配下。鄧艾と鍾会が蜀討伐戦を起こすと鍾会に従う。蜀が降伏した後、鍾会が姜維と共謀して独立を企てたことを耳にする。鍾会に従わなかった胡烈らが監禁されると、胡烈の子・胡淵に通報した。これによって鍾会と姜維の謀反は阻止された。【正史】胡烈から司馬昭に推薦され、鍾会の要請で蜀討伐戦に随軍する。
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【三国志14】阮籍の武将能力値紹介

阮籍(ゲンセキ) 統率18 武力22 知力69 政治61 魅力58 魏の文人。竹林の七賢の一人。【演義】記述なし。【正史】親の喪中に酒を飲むなど、礼節を軽んじたため鍾会らに疎まれるが、酒に溺れていたために政争から距離を置くことになった。老荘思想に傾倒し「大人[タイジン]先生伝」「達荘論[タツソウロン]」を著し、「詠懐詩」などの詩を詠む。喪中に礼儀に倣い弔問した嵆喜を白眼で迎え、酒と琴を持って現れた弟の嵆康を青眼で迎えたことが、故事成語となる「白眼視」の由来となっている。
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【三国志14】牛金の武将能力値紹介

牛金(ギュウキン) 統率72 武力79 知力40 政治38 魅力42 魏の武将。【演義】曹仁の配下。赤壁の戦いの後、江陵に攻め寄せた周瑜軍と戦う。丁奉と斬り合い、偽って逃げる丁奉を追って包囲されるが、曹仁の加勢を得て生還する。その後も周瑜軍相手に奮戦するが、結局、江陵は陥落し曹仁と共に襄陽に逃れた。【正史】後将軍まで昇進した。
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【三国志14】厳政の武将能力値紹介

厳政(ゲンセイ) 統率50 武力56 知力38 政治36 魅力7 黄巾の武将。【演義】張宝の配下。朱儁と劉備が率いる討伐軍に陽城で包囲される。敗色濃厚となると張宝を討ち取り、朱儁に投降した。【正史】記述なし。
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【三国志14】魏攸の武将能力値紹介

魏攸(ギユウ) 統率45 武力28 知力73 政治73 魅力68 後漢の臣。幽州牧・劉虞に従軍する。【演義】記述なし。【正史】袁紹に敗れた公孫瓚を劉虞が討伐しようとした時、「乱世に謀臣と勇士は不可欠である。公孫瓚は文武共に優れているから、小さな欠点には目をつぶってその才能を生かすべきだ」といさめた。その1年後に魏攸は病死し、劉虞は公孫瓚討伐の軍を起こすが、返り討ちにあった。
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【三国志14】牽招の武将能力値紹介

牽招(ケンショウ) 統率72 武力71 知力73 政治75 魅力72 魏の雁門[ガンモン]太守。牽弘の父。【演義】記述なし。【正史】袁紹、袁尚に仕える。鄴が曹操に包囲されると、兵糧調達のため上党に派遣されるが、戻る前に袁尚が敗走したため曹操に降った。その後、袁尚が公孫康に斬られると、曹操の臣下にありながら袁家の祭祀を行った。曹丕即位後、雁門太守となり、異民族統治や水路の開通などで功績を挙げる。曹叡の代、田豫が軻比能に包囲されると救援し、諸葛亮が軻比能と通じて侵攻しようとするのを警戒した。辺境統治の評判は田豫に次ぐ。
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