武将

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【三国志14】周朝の武将能力値紹介

周朝(シュウチョウ) 統率53 武力68 知力29 政治26 魅力47 後漢末、荊州南部で反乱を起こした賊。【演義】記述なし。【正史】長沙での区星の反乱に呼応し、郭石と結んで零陵、桂陽郡で反乱を起こす。区星に続いて孫堅に討伐された。
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【三国志14】蒋舒の武将能力値紹介

蒋舒(ショウジョ) 統率55 武力76 知力35 政治29 魅力25 蜀の武将。【演義】姜維の北伐に従って信任を得、傅僉と共に陽平関の守りについた。鍾会の軍勢が陽平関を攻めた際、その威勢に恐れをなし、傅僉が出陣している間に降伏して陽平関を明け渡した。【正史】武興の督だった頃、功績がなかったため漢中太守の補佐に回された。その事を恨んで降伏を決めたとされている。鍾会の軍勢が来襲した際、籠城を主張する傅僉と別れて陰平に向かい、魏の胡烈に降った。
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【三国志14】州泰の武将能力値紹介

州泰(シュウタイ) 統率71 武力63 知力73 政治64 魅力65 魏の兗州刺史。鄧艾と同じ州の出身で同輩。【演義】諸葛誕が寿春で蜂起した際、司馬昭率いる鎮圧軍に加わり、右翼を担った。呉の朱異が諸葛誕の援軍として来援すると、鍾会の策でばらまかれた牛馬に呉の兵士が飛びつくところを石苞と挟撃して破った。【正史】荊州刺史の裴潜に登用される。宛に駐留していた司馬懿への使者として度々派遣されたため、司馬懿の知己を得た。司馬懿が孟達を討伐した際は先導を務めた。後に兗州、予州の刺史を歴任し、征虜将軍となって江南の軍事を統括した。
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【三国志14】譙周の武将能力値紹介

譙周(ショウシュウ) 統率3 武力3 知力65 政治71 魅力52 蜀の官僚、学者。元は劉璋配下。天文に通じる。【演義】劉璋が劉備に包囲された時、劉備に降伏するのが天意であると説いた。その後は劉備に仕え、諸葛亮らと共に劉備に皇帝即位を勧めた。諸葛亮が五丈原に出兵した際は反対し、魏の諸葛誕の反乱に乗じて姜維が北伐軍を起こそうとした際も、「仇国論」を著して姜維をいさめた。鄧艾の軍勢が成都に迫ると劉禅に降伏を勧め、その翌年、劉禅と共に洛陽に移住した。【正史】「法訓」「五経論」「古史考」などの著作がある。国を壊滅させなかったことを司馬昭に評価された。
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【三国志14】周泰の武将能力値紹介

周泰(シュウタイ) 統率77 武力91 知力48 政治38 魅力60 呉の武将。【演義】揚子江の江賊。周平の兄。蒋欽と共に、江東に進出した孫策に仕える。孫権に従い宣城を守るが山賊に襲撃され、全身に槍傷を負いながら孫権を救出した。その後、赤壁、合肥、夷陵の戦いなどで主力として参戦。特に215年の合肥攻防戦では、魏軍に包囲された孫権と徐盛を救出し、孫権から青絹の傘を下賜された。【正史】濡須督になった際、指揮下に入った朱然、徐盛らが不満を述べたが、孫権は周泰の傷を1つ1つ指さしながら功績を語り、朱然らを納得させた。
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【三国志14】蒋顕の武将能力値紹介

蒋顕(ショウケン) 統率8 武力16 知力60 政治64 魅力46 蜀の太僕。蒋琬の子。【演義】成都の陥落後、剣閣で抗戦を続行する姜維の元へ向かい、降伏を命じる使者となる。成都に戻り、姜維が鍾会へ降伏したことを鄧艾に伝えた。【正史】のち鍾会が反乱した際、混乱に乗じて兄と共に殺害されたという。
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【三国志14】脩則の武将能力値紹介

脩則(シュウソク) 統率56 武力62 知力53 政治56 魅力50 呉の武将。脩允の父。【演義】記述なし。【正史】呉の前部督。268年、晋に奪われていた交州を奪還すべく劉俊と共に交趾に侵攻するが、晋の毛炅[モウケイ]らに敗れて戦死した。
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【三国志14】蒋欽の武将能力値紹介

蒋欽(ショウキン) 統率78 武力84 知力53 政治42 魅力75 呉の武将。【演義】元は揚子江の江賊。孫策が江東に進出した際、周泰と共に孫策の配下となる。孫策死後は孫権に仕えた。周瑜の指揮下で赤壁の戦い、南郡攻略戦に参加、孫権が合肥を攻めた際は後詰めを務めた。呂蒙による荊州攻略戦にも参加し、包囲した関羽に降伏を勧めた。【正史】孫策が袁術の保護下にあった時、周泰と共に側近として仕えた。後に孫権から学問の必要性を説かれ、呂蒙と共に一念発起して勉学に励んだ。関羽を倒した後、帰還の途上で病死した。
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【三国志14】周倉の武将能力値紹介

周倉(シュウソウ) 統率66 武力84 知力42 政治33 魅力54 黄巾の大将・張宝の武将。後に関羽に仕える。【演義】黄巾の乱の後、臥牛山で山賊をしていたところ、関羽と出会い臣従した。以後、常に関羽と共に行動し、関羽の指揮下で荊州を守る。荊州返還を求める魯粛と関羽が会見した際は護衛となり、機転を利かせて会見を打ち切らせた。また、樊城で于禁、龐徳と戦った際は、龐徳を水中に落として捕らえた。関羽が麦城で敗死すると、自害して果てた。【正史】記述なし。架空の人物だが民間伝承に数多く登場。よく絵画などで関平と共に関羽の左右に描かれている。
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【三国志14】小喬の武将能力値紹介

小喬(ショウキョウ) 統率17 武力13 知力74 政治68 魅力92 周瑜の妻。孫策の妻・大喬の妹。【演義】喬国老の娘。絶世の美女として知られ、孫策に嫁いだ大喬と共に「二喬」と称された。孫策の臨終の際、周瑜に孫権への補佐を頼むよう遺言される。赤壁の戦いの前、曹操が二喬を銅雀台に住まわせることを望んでいると諸葛亮から聞かされた周瑜は激怒し、曹操との決戦に踏み切った。【正史】橋公の娘、小橋。周瑜との親愛ぶりを描いたもの、曹操の大軍を前に弱気になった周瑜を叱咤激励するものなど、周瑜と共に絵画や戯曲の題材としてよく登場する。
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