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【三国志14】徐晃の武将能力値紹介

徐晃(ジョコウ) 統率88 武力90 知力74 政治48 魅力73 魏の武将。大斧の使い手。【演義】楊奉の配下だったが、満寵に説得されて曹操に仕える。呂布討伐戦では陳宮を捕らえた。官渡の戦いでは顔良、文醜に敗れるが、烏巣を急襲して勝利に貢献した。その後も赤壁、渭水、漢中などで転戦し、関羽が樊城を包囲した際は迎撃して進行を食い止めた。その後、諸葛亮の北伐に呼応して孟達が反乱すると、司馬懿と共に鎮圧に向かうが、孟達の矢を受け死亡した。【正史】関羽迎撃後、一糸乱れぬ兵の統率ぶりを見た曹操から前漢の名将・周亜夫の風あり、と称えられた。
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【三国志14】徐璆の武将能力値紹介

徐璆(ジョキュウ) 統率68 武力48 知力62 政治76 魅力56 後漢の臣。徐淑の子。【演義】袁術が死んだ際、袁胤が棺と妻子を守って廬江に落ち延びようとしたところを殺害し、玉璽を奪って曹操に献上した。【正史】荊州刺史に任ぜられ、黄巾の乱では朱儁と共に戦った。董太后の甥である張忠に恨まれて一時罷免されたが、復帰して汝南太守、東海相を歴任、各地で治績を挙げた。献帝が許昌に遷った時、中央に召されたが、袁術に抑留される。袁術死後に玉璽を得ると、許昌に入って献帝に献上した。
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【三国志14】諸葛亮の武将能力値紹介

諸葛亮(ショカツリョウ) 統率93 武力38 知力100 政治96 魅力93 諸葛珪の子。諸葛瑾の弟。諸葛均の兄。諸葛瞻の父。【演義】幼い頃、叔父の諸葛玄の庇護を受けて育ち、後に司馬徽の門に入って「伏龍」と呼ばれる。劉備に三顧の礼で招かれると、孫権軍を動かし、赤壁の戦いで曹操軍を破った。自らの天下三分の計に従い、劉備に荊州南部と益州を制覇させて蜀を建国させる。劉備が帝位に即くと丞相となり、劉備の臨終の際は劉禅の後見を託された。劉備の死後、呉との国交を回復し南蛮を平定。北伐を繰り返して魏討伐に執念を燃やすが、五丈原で病没する。【正史】神算鬼謀の軍略家よりも政治家として描かれる。
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【三国志14】諸葛融の武将能力値紹介

諸葛融(ショカツユウ) 統率59 武力52 知力55 政治63 魅力69 呉の官僚。諸葛瑾の子。諸葛恪、諸葛喬の弟。諸葛亮の甥。【演義】記述なし。【正史】父の死後、その軍と爵位を引き継いで公安に駐屯した。寛容で大らかな性格であり、何でも楽しく遊ぶことに長けていたため、兵士や役人によくなつかれたという。兄が孫峻に暗殺され、自身も軍に包囲されると、毒を仰いで自殺した。
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【三国志14】諸葛誕の武将能力値紹介

諸葛誕(ショカツタン) 統率78 武力71 知力73 政治75 魅力82 前漢の名臣・諸葛豊の子孫。呉の諸葛瑾、蜀の諸葛亮の従弟だが魏に仕える。諸葛靚の父。【演義】反乱を起こした毌丘倹を司馬師が討伐した際、従軍して活躍した。司馬昭が実権を握ると対立し、呉の孫綝の助力を受けて挙兵。緒戦で楽綝を討ち取る。しかし、司馬昭に寿春城を包囲され、迎撃策に異を唱えた文欽を斬ったことで孤立。寿春への突入を許し、胡奮に斬られた。直属の兵士数百人は全員、降伏せずに殉死した。【正史】夏侯玄、鄧颺らと親交があり、「四聡八達」と自称。才人気取りを曹叡に嫌われ、重用されなかった。
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【三国志14】荀粲の武将能力値紹介

荀粲(ジュンサン) 統率16 武力14 知力68 政治55 魅力50 荀彧の末子。兄に荀惲、荀顗。【演義】記述なし。【正史】兄たちが儒学を重んじたのに対し、ひとり道家の説を好む。傅嘏らと老荘の思想を大いに語り合い、その主張は後の「玄学」や「清談」に影響を与えた。女は容姿だと主張して、美貌に優れた曹洪の娘を妻とした。妻が病死した翌年、悲しみのあまり後を追うように病死した。
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【三国志14】諸葛瞻の武将能力値紹介

諸葛瞻(ショカツセン) 統率69 武力57 知力72 政治68 魅力69 蜀の丞相・諸葛亮の長子。母は黄氏(月英)。諸葛尚の父。劉禅の娘を妻に迎え、父の爵位を受け継ぐ。【演義】261年、行軍護衛将軍に任ぜられるが、黄皓が政権を握っていたため、病と称して屋敷に籠もる。263年、蜀に侵攻した鄧艾を綿竹関で迎撃。緒戦は子の諸葛尚と共に諸葛亮の木像を掲げて撃退に成功する。鄧艾の降伏勧告を拒否し尚も戦おうとするが、要請していた呉の援軍を待ちきれずに再度出陣し、負傷して自害した。【正史】蜀を守ることはできなかったが、蜀を裏切らず亡父の志に従った忠孝を称えられた。書画に巧みだった。
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【三国志14】荀勗の武将能力値紹介

荀勗(ジュンキョク) 統率8 武力16 知力77 政治72 魅力45 魏の従事中郎。【演義】蜀の姜維が沓中[トウチュウ]で屯田した際、姜維暗殺を主張する賈充に反対し、蜀の宮中腐敗を理由に軍事攻撃を主張。鄧艾を主将、鍾会を副将に蜀討伐軍を起こすように進言し、司馬昭に採択された。その後、晋に仕え、羊祜が呉討伐作戦を上奏した際、賈充、馮紞[フウタン]と共に司馬炎をいさめ、作戦を中止させた。【正史】晋では侍中、尚書令を歴任し、賈充らと晋律を制定した。また、張華と共に古書を整理し、経、子、史、集の四類に分類した。
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【三国志14】諸葛靚の武将能力値紹介

諸葛靚(ショカツセイ) 統率58 武力63 知力66 政治65 魅力67 魏の武将・諸葛誕の子。【演義】諸葛誕が反乱を起こすと、呉に援軍を求めるための人質として呉綱と共に孫綝の下に送られた。その後は呉に仕え、右将軍まで昇進。279年、晋が呉討伐戦を起こすと、張悌、沈瑩と共に迎撃に向かうが、あまりに劣勢のため降伏を主張。しかし、張悌に拒否された。【正史】孫晧が武昌に遷都した時、丁固と共に建業を守る。山賊の施但が来襲すると牛屯で撃破した。268年には丁奉と共に合肥を攻める。呉滅亡後、幼少期に親しかった武帝・司馬炎から侍中に迎えられるが、固辞した。
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【三国志14】荀顗の武将能力値紹介

荀顗(ジュンギ) 統率16 武力12 知力70 政治74 魅力69 魏の尚書。荀彧の第4子。陳泰の舅。【演義】司馬昭が曹髦を殺した際、参内を拒む陳泰を呼びに行き、陳泰に「義父上は私以下の人物になられたか」と嘆かれた。後に司空となり、晋王となった司馬昭が後継人事を迷うと、長幼の序を重視して司馬炎を推した。【正史】司馬懿に評価され、「荀彧の子だけのことはある」と言わしめた。毌丘倹討伐の功で司空となる。晋建国の功臣として侍中、太尉と昇進し、臨淮公に封ぜられた。博学多識で三礼、朝廷の儀礼に通じていた。何曾と並んで仁と孝を尽くした者として称賛されている。
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