武将

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【三国志14】沮授の武将能力値紹介

沮授(ソジュ) 統率79 武力35 知力90 政治89 魅力76 袁紹の幕僚。元は韓馥に仕える。【演義】鄴に入った袁紹から行政官に任命される。袁紹が曹操との開戦の是非を問うた時、時期尚早と主張。黎陽に出陣しても積極的に動かなかった。官渡の戦いの直前、田豊がなおも時期尚早と忠告して投獄されると、家財を一族に分け与えて出陣。たびたび献策するも、聞き入れられずに投獄され、袁紹軍は敗退。曹操軍に捕らえられるが降伏を拒み、脱走を図って殺された。曹操は忠義の士を殺してしまったと後悔し、手厚く葬った。【正史】献帝の擁立を袁紹に進言するが、拒否された。
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【三国志14】全尚の武将能力値紹介

全尚(ゼンショウ) 統率2 武力4 知力12 政治40 魅力57 呉の重臣。全紀の父。妻は孫峻の姉で、孫綝の従姉。娘が第2代皇帝・孫亮の皇后となる。【演義】子の全紀が呉帝・孫亮から、暴政を振るう孫綝を討伐するよう命じられたことを妻に打ち明ける。しかし、妻が孫綝に密告したため、計画が事前に発覚。同じく孫綝討伐を命じられていた劉丞と共に、一族もろとも処刑された。孫亮もまた、この事件で帝位を廃された。【正史】太常。孫綝討伐の計画が発覚後、家族と共に零陵に流され、処刑された。
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【三国志14】沮鵠の武将能力値紹介

沮鵠(ソコク) 統率55 武力52 知力66 政治66 魅力69 袁紹の幕僚・沮授の子。【演義】袁紹の死後、袁尚に仕える。袁譚が曹操に降伏した直後、冀州に攻め込んできた曹操軍を邯鄲[カンタン]で迎撃。張遼と打ち合うが3合せずに追い立てられ、逃走するところを射殺された。【正史】邯鄲を守っていたが、曹操軍に攻められて陥落したとあるのみ。
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【三国志14】全柔の武将能力値紹介

全柔(ゼンジュウ) 統率43 武力40 知力55 政治67 魅力58 後漢の臣。子に全琮。孫に全緒、全寄、全端、全懌。【演義】記述なし。【正史】霊帝の代に孝廉に推挙されて尚書郎右丞に任命されたが、董卓が入朝すると官を棄てて故郷に帰った。孫策が呉郡に侵攻してくると兵を率いて臣従し、丹陽都尉、次いで桂陽太守を任された。
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【三国志14】曹霖の武将能力値紹介

曹霖(ソウリン) 統率44 武力51 知力28 政治15 魅力6 魏の皇族。曹丕の子。曹叡の弟。曹髦の父。【演義】曹髦が帝に即位する際、その父として言及された。【正史】曹丕によって河東王、次いで館陶王に封じられた。性格は粗暴を極め、侍女や使用人に乱暴を働き、殺害に至ったこともあったとされる。のち曹叡によって東海王に封じられた。
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【三国志14】単経の武将能力値紹介

単経(ゼンケイ) 統率70 武力66 知力44 政治48 魅力55 公孫瓚の武将。【演義】記述なし。【正史】公孫瓚から兗州刺史に任ぜられる。袁紹と対立する袁術が公孫瓚に援軍を要請すると、公孫瓚の命を受けて劉備、陶謙と共に出兵し、平原に駐屯。袁紹を圧迫したが、袁紹に協力した曹操に破られた。
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【三国志14】宗預の武将能力値紹介

宗預(ソウヨ) 統率56 武力32 知力65 政治66 魅力70 蜀の武将。【演義】諸葛亮の死後、呉が国境の軍備を増強させたのに対し、孫権の真意を尋ねる使者として派遣され、魏の侵攻に備えるためとの言質を取る。【正史】もと張飛の配下。劉備の入蜀後、諸葛亮に重用され参軍などを歴任する。同じく諸葛亮に信任されながら傲慢な態度を取ることが多かった鄧芝に対しても直言をはばからなかった。晩年、お互い老齢となった孫権と再会し、土産に真珠をもらい受けている。蜀の滅亡後、洛陽へ護送される途中で病死した。
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【三国志14】全紀の武将能力値紹介

全紀(ゼンキ) 統率50 武力68 知力60 政治70 魅力63 呉の黄門侍郎。全尚の子。母は孫綝の従姉。【演義】258年、呉帝・孫亮から、暴政を振るう孫綝を討伐するよう密命を受ける。しかし、父の全尚が計画を妻(全紀の母)に漏らしたため孫綝に露呈し、家族ともども処刑された。この事件で孫亮も帝位を廃された。【正史】孫亮は全紀に相談する際、全紀の母は孫綝の一族だから注意するように促していた。それにもかかわらず、父の全尚が母に打ち明けてしまったことを恥じ、孫亮が孫綝に廃されたのと同時に自害した。
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【三国志14】曹熊の武将能力値紹介

曹熊(ソウユウ) 統率7 武力5 知力52 政治65 魅力67 曹操の五男。母は卞氏。曹丕、曹彰、曹植の弟。【演義】生来病弱で、曹操が死亡した時、葬儀に参加できず任地に籠もっていた。曹丕からの問責の使者が来訪すると、罪を恐れて自害した。【正史】早くに死んだとのみあり、曹丕からの問責や自害したという記述はない。
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【三国志14】全懌の武将能力値紹介

全懌(ゼンエキ) 統率60 武力63 知力38 政治44 魅力54 呉の重鎮・全琮の子。全端の弟。全禕の叔父。【演義】257年、魏の諸葛誕が寿春で反乱を起こすと、孫綝の命令で救援に赴き、兄の全端と共に寿春城に入る。しかし、先に司馬昭に降伏した全禕から降伏を勧められ、魏に投降した。【正史】甥の全禕から、寿春で成果を上げられない全一門を呉が誅滅しようとしていると書状を送られ、兄の全端と共に降伏した。これは鍾会の策略で、実際には全禕らは一族の内紛で亡命していた。魏に降伏後は平東将軍となった。
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