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【三国志14】典韋の武将能力値紹介

典韋(テンイ) 統率57 武力95 知力35 政治29 魅力58 曹操の武将。80斤の双鉄戟を操る。短戟の名手。【演義】曹操に「いにしえの豪傑・悪来なり」と称された怪力の巨漢。夏侯惇に見出されて曹操の護衛となる。濮陽の戦いでは、呂布軍の火攻めに遭った曹操を救出。黄巾残党の討伐戦では、許褚と互角に渡り合った。197年、張繍の降伏を受けて曹操が宛に進駐した際、曹操の宿舎を警護。張繍の参謀・賈詡の計略で武器を奪われたが、曹操の宿舎が夜襲を受けると身を挺して戦い、戦死した。【正史】張邈配下の趙寵の兵士だったが、誰も持ち上げられなかった長大な牙門旗を片手で立て、その怪力が知られた。
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【三国志14】陳化の武将能力値紹介

陳化(チンカ) 統率18 武力28 知力60 政治74 魅力69 呉の官僚。子に陳熾[チンシ]。【演義】記述なし。【正史】博覧強記で、威容があり、また身の丈七尺九寸の偉丈夫だった。郎中令として魏への使者となると、その弁舌で曹丕を大いに感心させ、鄭重な礼を受けた。帰国すると呉の国威を輝かせたとして、孫権に褒賞された。のち太常と尚書令を兼任した。
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【三国志14】徹里吉の武将能力値紹介

徹里吉(テツリキツ) 統率65 武力63 知力46 政治49 魅力52 西羌の王。【演義】曹操の時代より、毎年朝貢していた。郭淮の献策を容れた魏の大将軍・曹真の要請を受けて、越吉、雅丹の率いる鉄車兵を援軍として西平関に派遣する。しかし、西羌軍は諸葛亮の陥穽の計の前に大敗した。【正史】記述なし。
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【三国志14】陳応の武将能力値紹介

陳応(チンオウ) 統率62 武力72 知力45 政治27 魅力40 桂陽太守・趙範の武将。飛叉の使い手。【演義】赤壁の戦いの後、劉備軍の趙雲が桂陽に攻め寄せると、降伏を主張する趙範を説き伏せて迎撃に当たった。しかし、趙雲にかなわず捕らえられ、一度は趙範ともども降伏する。樊氏との結婚話を巡って趙雲と趙範が不和になると、同僚の鮑隆と共謀して趙雲を暗殺しようとするが、趙雲に察知されて返り討ちにされた。【正史】記述なし。
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【三国志14】丁封の武将能力値紹介

丁封(テイホウ) 統率66 武力66 知力53 政治39 魅力61 呉の武将。丁奉の弟。【演義】263年、魏の鄧艾が蜀に攻め込んだ際、綿竹関で魏軍を迎撃した諸葛瞻の要請を受け、丁奉、孫異と共に蜀の救援に赴いた。【正史】蜀の滅亡直前、魏を牽制するため、孫異と共に漢水流域へ進駐した。後将軍まで昇り、兄の丁奉よりも早く死んだ。
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【三国志14】陳横の武将能力値紹介

陳横(チンオウ) 統率63 武力64 知力26 政治35 魅力42 揚州刺史・劉繇の武将。【演義】江東に侵出した孫策軍と秣陵で戦う。薛礼、張英と防戦中に孫策が戦死したと思い込み、夜、城から出て孫策の陣を襲撃。しかし、孫策は生きており、待ち構えていた蒋欽に射殺された。【正史】記述なし。
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【三国志14】丁奉の武将能力値紹介

丁奉(テイホウ) 統率81 武力80 知力71 政治55 魅力56 呉の武将。丁封の兄。【演義】孫策の死後、孫権に招かれた。赤壁の戦い、南郡攻略戦、関羽討伐戦、夷陵の戦いなどに参加。223年に曹丕が呉を攻めた際は、偽城の計で迎撃した徐盛を援護し、魏の張遼の腰を射た。252年、孫権の死に乗じて魏軍が侵攻してきた時は東興で胡遵を撃退。258年には孫休の密命を受け、孫綝を誅殺した。263年、魏が蜀討伐戦を起こすと、諸葛瞻の要請を受けて救援に向かった。【正史】甘寧、陸遜、潘璋らの指揮下で活躍。演義で同僚の徐盛より若い世代に当たる。大将軍まで昇った。
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【三国志14】張魯の武将能力値紹介

張魯(チョウロ) 統率51 武力26 知力73 政治78 魅力89 後漢の漢寧太守。五斗米道の祖・張陵の孫。張衛の兄。【演義】曹操が馬超を討伐して西進の気配を見せたため、劉璋の蜀を奪って対抗しようと画策。劉備が劉璋を攻めると、馬超を派遣して劉備軍と戦わせる。215年、曹操が漢中に来襲すると、張衛や龐徳に迎撃させるが敗北。倉は国家の預かりものとして焼かずに封じ、巴西に逃亡した後、降伏。倉を焼かなかったことを高く評価された。【正史】劉焉の命で漢中攻撃を指揮し、その軍勢を奪って漢中で独立。劉璋の代になっても服従しなかったため、母や家族を劉璋に殺された。
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【三国志14】程秉の武将能力値紹介

程秉(テイヘイ) 統率16 武力14 知力68 政治72 魅力65 呉の官僚。鄭玄[ジョウゲン]の門人。【演義】孫策の死後、後を継いだ孫権に招かれた。赤壁の戦い前、諸葛亮が劉備と孫権の同盟を結ぶため呉に来訪した際、張昭らと共に諸葛亮に論戦を挑み論破された。222年、関羽と張飛の復讐のために劉備が荊州に侵攻してくると、張飛を討った范彊[ハンキョウ]、張達の身柄を劉備に引き渡す使者となる。劉備に荊州と孫尚香の返還を提案し和睦を勧めるが、劉備の敵意は削げなかった。【正史】交州で劉煕と交流し、五経を学んだ。士燮に仕えていたが、孫権に招かれ太子太傅となる。
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【三国志14】趙累の武将能力値紹介

趙累(チョウルイ) 統率67 武力43 知力68 政治74 魅力71 蜀の軍前都督、糧秣官。【演義】関羽の指揮下で荊州を守る。関羽が樊城の曹仁を攻めた時、随軍を命じられた。忠誠無比の人物で、王甫は「潘濬よりも趙累に荊州の留守を任せた方がよい」と関羽に勧めた。樊城攻撃中に荊州が孫権軍に奪われると、劉備に救援を要請するよう進言。関羽が麦城を脱出して益州に帰還しようとした時に従軍し、孫権軍の伏兵に遭って戦死した。【正史】関羽父子と一緒に潘璋配下の馬忠に捕らえられた。
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