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【三国志14】陳珪の武将能力値紹介

陳珪(チンケイ) 統率15 武力5 知力82 政治77 魅力74 後漢の済北の相。徐州の名士。陳登の父。【演義】陶謙に仕え、曹操が来襲した際に救援に来た劉備に心服。以後、徐州牧となる劉備を支援した。劉備が呂布に徐州を奪われた後は、呂布打倒を画策。袁術が皇帝を名乗って呂布を攻めると、袁術軍の韓暹と楊奉を寝返らせ呂布を助けるが、これも呂布の信用を得るための策略だった。その後、曹操と結託して呂布を追い落とし、下邳で敗死させることに成功した。【正史】袁術と親しかったが、子の陳応を人質に取られ、仕官を迫られて対立。後に袁術と呂布の連合を阻んだ。
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【三国志14】典満の武将能力値紹介

典満(テンマン) 統率50 武力67 知力38 政治25 魅力48 曹操の武将。典韋の子。【演義】197年、宛城における張繍との戦いで、父の典韋が曹操を守って戦死すると、側近として曹操の館に引き取られた。【正史】曹丕が王位に即くと、都尉に任ぜられた。
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【三国志14】陳羣の武将能力値紹介

陳羣(チングン) 統率32 武力14 知力74 政治97 魅力73 魏の官僚。陳泰の父。祖父の陳寔[チンショク]、父の陳紀、叔父の陳諶はいずれも後漢の名臣。【演義】曹操臨終の際、曹洪、賈詡、司馬懿らと共に後事を託される。曹操が死ぬと献帝に譲位を迫った。曹丕の死後は司空となり、曹真、司馬懿と共に曹叡を補佐した。【正史】はじめ豫州を支配した劉備に仕え、劉備が呂布に敗れた後は徐州に移る。呂布が敗死すると曹操に仕えた。曹丕が王太子の頃、司馬懿、呉質、朱鑠と共に学友となる。曹丕が皇帝になると「九品官人法」を献策。これが魏晋南北朝時代の任官制度の基礎となった。
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【三国志14】田豊の武将能力値紹介

田豊(デンポウ) 統率72 武力29 知力93 政治87 魅力68 袁紹の参謀。【演義】袁紹が冀州を制圧すると、冀州の統治に当たる。曹操との決戦が迫ると長期戦を主張するが、聞き入れられなかった。官渡の戦い直前も短期決戦に反対し、士気をくじくとして投獄される。袁紹が官渡の戦いで敗れると、逢紀に「田豊が獄中で笑っている」と訴えられ、処刑を命じられる。しかし、死を悟っていた田豊はすでに獄中で自害していた。荀彧の評は「剛直で上司に逆らう」。【正史】曹操が張繍と戦っている間に献帝を奪還する策を献じたが、採用されなかった。
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【三国志14】陳矯の武将能力値紹介

陳矯(チンキョウ) 統率61 武力27 知力76 政治83 魅力65 魏の幕僚。陳本、陳騫の父。【演義】赤壁の戦いの後、曹仁と共に江陵を守る。攻め寄せた周瑜を迎撃し、周瑜戦死の偽報に乗せられて曹仁が出陣している間、城の守りを任される。しかし、諸葛亮の命を受けた趙雲に城を奪われ、敗走した。曹操の死後、詔勅を待たずに魏王に即位するよう曹丕に勧め、華歆、王朗らと共に献帝に譲位を迫った。【正史】孫策や袁術からの任用を断り、陳登と共に孫策の侵攻を防いだ。後に中央に移って魏郡太守となり、漢中討伐の後、尚書に就任。尚書令を経て、司徒まで昇った。
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【三国志14】田疇の武将能力値紹介

田疇(デンチュウ) 統率66 武力66 知力72 政治74 魅力74 後漢の議郎。【演義】袁紹に仕えた。袁紹の死後、曹操が烏桓を討伐しようとした際、道案内として召し出される。烏桓討伐後、柳城の守りを任されそうになるが、固辞した。【正史】劉虞に仕え、早くから公孫瓚を警戒していた。献帝への使者として長安に赴くが、劉虞が公孫瓚に殺されたため隠棲。袁紹や袁尚の招きには応じず、北方に籠もって善政を敷いた。郷里を荒らした烏桓を恨んでいたため、曹操の烏桓討伐には協力。しかし、その後は曹操の任用も固辞し、親しかった夏侯惇の説得も拒んだ。
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【三国志14】陳宮の武将能力値紹介

陳宮(チンキュウ) 統率79 武力55 知力89 政治83 魅力69 後漢の中牟県令。曹操に仕えた後、呂布に仕える。【演義】董卓暗殺に失敗した曹操を捕らえるが、曹操の志を知って行動を共にする。しかし、歓待してくれた呂伯奢を誤解から殺した曹操の非情さを知って決別。曹操が陶謙の徐州を攻めた際、曹操に戦いをやめるよう説得するが失敗し、張邈、呂布と結託して曹操から兗州を奪う。その後は呂布の参謀として曹操軍と戦い続け、最後は呂布と共に下邳で捕らえられる。頑として曹操に仕えようとせず、自ら進んで首を斬られた。【正史】董卓暗殺に失敗した曹操を助ける描写はない。
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【三国志14】田続の武将能力値紹介

田続(デンショク) 統率47 武力60 知力55 政治15 魅力27 魏の武将。田疇の従孫。【演義】263年、鍾会と鄧艾の蜀討伐戦に参加。江油城を攻め落とした際、兵士を休息させるように進言して鄧艾に斬られそうになる。蜀が滅亡し、鍾会が死んだ後、鄧艾の報復を恐れた衛瓘の命を受け、鄧艾父子を殺害した。【正史】田疇の徳義が高く評価され、曹丕が即位した際、後を継ぐように命じられた。蜀討伐戦に参加し、江油の戦いで進軍命令を拒んで、鄧艾に斬られそうになる。鍾会の死後、衛瓘の命で鄧艾父子を討った。
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【三国志14】田楷の武将能力値紹介

田楷(デンカイ) 統率68 武力65 知力57 政治60 魅力63 後漢の青州刺史。【演義】徐州の陶謙が曹操に攻められた際、孔融や劉備と共に陶謙の要請に応じて徐州に向かった。【正史】公孫瓚から青州刺史に任ぜられ、劉備と共に袁紹と対抗する。袁紹が公孫瓚を攻めた際は劉備と共に斉に駐屯。袁紹派の曹操が陶謙を攻めた際は、やはり劉備と協力して陶謙を救援し、曹操の軍を退却させた。後に袁紹の長男・袁譚に撃破された。
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【三国志14】陳紀の武将能力値紹介

陳紀(チンキ) 統率58 武力65 知力43 政治48 魅力31 袁術の武将。【演義】皇帝を名乗った袁術が呂布を攻めた際に従軍するが楊奉、韓暹らが呂布軍に寝返ったため大敗。その直後、曹操が寿春に攻め寄せると李豊、楽就、梁綱と共に寿春城を守る。しかし、かなわず、他の僚将ともども捕らえられ、処刑された。【正史】袁術から、九江太守に任ぜられた。孫策は以前、袁術から九江太守の地位を約束されていたため、この人事に不服で袁術からの独立を考えるようになる。
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