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【三国志14】馮氏の武将能力値紹介

馮氏(フウシ) 統率3 武力1 知力45 政治40 魅力66 袁術の側室。馮方[フウホウ]の娘。【演義】袁術が帝位を僭称した際、皇后に立てられた。袁術死後、袁胤らと共に廬江に落ち延びようとしたが、徐に殺された。【正史】乱を避けて揚州に逃れていたところを袁術に見初められた。袁術から寵愛されたが、他の妻妾の嫉みを買って絞殺され、厠の梁に吊るされた。
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【三国志14】馬玩の武将能力値紹介

馬玩(バガン) 統率71 武力74 知力16 政治23 魅力35 韓遂の武将。【演義】曹操に暗殺された馬騰の復讐のために挙兵した馬超と韓遂の軍に参加。長安、潼関を陥落させるが、渭水の戦いで戦線が膠着。賈詡の離間の計で馬超と韓遂が不和になると、韓遂と共に曹操に投降するか協議する。しかし、その最中、馬超に斬り込まれ、真っ先に討ち取られた。【正史】後漢末、関中に割拠した軍閥の一角。211年、曹操が西征の動きを見せると、馬超、韓遂らと共に挙兵するが、敗れた。
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【三国志14】馬延の武将能力値紹介

馬延(バエン) 統率47 武力60 知力28 政治23 魅力36 袁尚の武将。のち曹操の武将。【演義】袁紹死後の家督争いでは、張顗と共に袁譚を攻撃した。のち審配の守る城が曹操に攻められると、救援に向かったが大敗。曹操の捕虜となり、呂翔らの説得を受けて帰順、配下となった。その後、長坂の戦いで単騎の趙雲を包囲したが逃げられている。赤壁の敗戦で落ち延びようとする曹操とは合流を果たしたが、甘寧に討ち取られた。【正史】演義と同様、曹操軍との戦いで大敗した。曹操の捕虜になって以降の記述はない。
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【三国志14】馮楷の武将能力値紹介

馮楷(フウカイ) 統率65 武力67 知力42 政治44 魅力43 曹操の武将。【演義】記述なし。【正史】208年、曹操が荊州を征伐した際、于禁、張遼、張郃、朱霊、李典、路招と共に趙儼の指揮下に入った。
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【三国志14】馬雲騄の武将能力値紹介

馬雲騄(バウンリョク) 統率70 武力73 知力39 政治32 魅力61 架空の人物。馬騰の娘。馬超、馬休、馬鉄の妹。天女のような美貌と、優れた武勇の持ち主。馬騰、馬休、馬鉄が曹操の謀略で殺された後、馬超に従い復讐戦を挑む。曹操に敗れると、馬超、馬岱と共に劉備軍に帰属。益州攻略戦で出会った趙雲と結婚し、趙雲と共に主に荊州で戦った。【演義】記述なし。【正史】記述なし。馬騰の一族は、211年の馬超の反乱によって滅ぼされた。222年に馬超が死んだ時、一族で残っているのは従弟の馬岱だけと記されている。
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【三国志14】裴潜の武将能力値紹介

裴潜(ハイセン) 統率63 武力30 知力74 政治75 魅力51 魏の幕僚。裴茂の子。弟に裴儁、裴輯[ハイシュウ]、裴徽[ハイキ]、裴綰[ハイワン]。子に裴秀、裴耽。【演義】記述なし。【正史】戦乱を避けて荊州に入り劉表に招聘されたが、劉表は大成しないと見抜いて長沙に移った。曹操が荊州を平定した時に召し出され、交流のあった劉備のことを尋ねられると、「中央にいれば乱を招くが、要害に拠れば地方の主になれる」と答えた。のち代郡太守など各地で治績を挙げると共に、数々の助言で曹操を補佐。曹丕、曹叡の代にも顕職を歴任した。
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【三国志14】裴秀の武将能力値紹介

裴秀(ハイシュウ) 統率8 武力9 知力70 政治80 魅力42 魏晋の官僚。裴潜の子。郭配(郭淮の弟)の女婿。【演義】諸葛誕が反乱を起こすと、鎮圧に赴いた司馬昭を鍾会と共に補佐した。司馬昭が後継問題に悩むと、賈充、何曾らと共に長男の司馬炎を推す。265年、司馬炎が晋王になると、賈充と共に魏帝・曹奐に譲位を迫った。【正史】曹爽一派の何晏に登用されたため、政変で曹爽一派が一掃されると、一時的に免職される。晋代に五等級の爵位制度を立案、後に司空となった。著名な地理学者でもあり「禹貢地域図[ウコウチイキズ]」を著す。製図法「製図六体」は後の製図の規範となった。
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【三国志14】裴元紹の武将能力値紹介

裴元紹(ハイゲンショウ) 統率49 武力65 知力25 政治27 魅力41 もと黄巾の武将。【演義】黄巾の乱後、周倉と共に山賊となる。200年、関羽が曹操の五関を突破して劉備の下に帰ろうとした時、周倉と共に関羽の家来になりたいと申し出る。しかし、この時は周倉だけが同行し、その他の者は迎えが来るまで山中で待つことになった。しばらくして、通りかかった趙雲の馬を奪おうとしたため、返り討ちにあった。【正史】記述なし。
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【三国志14】甯随の武将能力値紹介

甯随(ネイズイ) 統率67 武力69 知力72 政治41 魅力52 蜀の武将。【演義】姜維の副将。263年、鍾会と鄧艾が蜀討伐戦を起こした際は姜維と共に沓中[トウチュウ]で屯田していた。救援に駆けつけようとした姜維が諸葛緒に退路を断たれた時、雍州を攻撃する振りをして諸葛緒の注意をそらし、その間に剣閣へ向かう策を進言した。【正史】記述なし。
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【三国志14】杜預の武将能力値紹介

杜預(ドヨ) 統率86 武力30 知力85 政治80 魅力81 晋の武将。杜畿の孫、杜恕の子。司馬懿の女婿。【演義】羊祜の遺言で鎮南大将軍、都督荊州諸軍事に任ぜられる。279年、呉討伐軍を指揮し、江陵、武昌を連破。呉を降伏させた。その際、慎重論を唱える胡奮に「竹を割るような勢いで進軍すれば、呉は戦わずに降伏する」と諭したことが「破竹の勢い」の語源となる。「春秋左氏伝」を愛読し、「左伝癖」と自称した。【正史】父の杜恕が司馬懿と対立したため、政界への参加は遅かった。鍾会の蜀討伐戦に副官として参戦。著作に「春秋左氏経伝集解」がある。馬術、武術は不得手。
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