武将

武将

【三国志14】楊祚の武将能力値紹介

楊祚(ヨウソ) 統率53 武力61 知力36 政治32 魅力40 公孫淵の武将。【演義】237年、公孫淵が燕王を自称し魏から独立すると、先鋒に任ぜられ、卑衍と共に遼遂に駐屯。20余里に渡って堀と逆茂木をめぐらし、魏軍の来襲に備える。しかし、来襲した司馬懿は遼遂を無視して、襄平に向かったため、追撃。夏侯覇と夏侯威の伏兵に遭い、敗退した。【正史】遼遂、首山で司馬懿に敗れ、襄平で包囲される。遼水が決壊して孤立し、食糧も尽きたため、降伏した。
武将

【三国志14】李朝の武将能力値紹介

李朝(リチョウ) 統率51 武力37 知力57 政治69 魅力75 蜀の幕僚。弟に李邵、子に李旦、孫に李毅。【演義】記述なし。【正史】李邵と、もう一人の早世した弟と共に評判が高く、「李氏の三龍」と呼ばれていた。郡の功曹から孝廉に推挙され、臨[リンキョウ]の県令を経て、別駕[ベツガ]従事となった。劉備の呉征討に従軍し、敗北後、永安で没した。
武将

【三国志14】楊済の武将能力値紹介

楊済(ヨウセイ) 統率68 武力68 知力71 政治66 魅力66 晋の武将。司馬炎の楊皇后の叔父。【演義】冠軍将軍。279年、呉討伐戦が始まると、杜預の指揮下で襄陽に駐屯し、各軍を監督した。【正史】弘農の名門・楊氏の出で、楊脩と同族。呉を平定した後、都督荊州諸軍事となる。恵帝が即位すると太子太傅に就任するが、間もなく、八王の乱に巻き込まれ死亡した。
武将

【三国志14】李邵の武将能力値紹介

李邵(リショウ) 統率44 武力28 知力68 政治64 魅力71 蜀の幕僚。兄に李朝。【演義】記述なし。【正史】李朝と、早世した弟と共に評判が高く、「李氏の三龍」と呼ばれていた。劉備の益州平定後、州の書佐部従事となり、劉備死後、諸葛亮に招かれて丞相府の西曹掾となった。諸葛亮が南蛮征伐に向かった際、治中従事として留守を預かったが、その年に死んだ。後年、諸葛亮が姜維を称賛した時、馬良と李邵を引き合いに出している。
武将

【三国志14】楊任の武将能力値紹介

楊任(ヨウジン) 統率70 武力78 知力56 政治40 魅力54 張魯の武将。【演義】曹操軍が漢中に攻め寄せると、楊昂と共に陽平関で防戦。緒戦で曹操軍の先鋒・夏侯淵と張郃に夜襲を仕掛け、勝利する。曹操が巡察に出ると、楊昂と協力して襲いかかるが、許褚に撃退された。霧の中、楊昂の陣に迷い込んだ夏侯淵と打ち合うものの、背後を張郃に突かれ敗退。張魯の怒りを買い、再度出陣するが、またも夏侯淵と一騎討ちになる。30余合打ち合った後、偽って敗走した夏侯淵を深追いして返り討ちにあった。【正史】陽平関で曹操軍と戦い、斬られた。
武将

【三国志14】李勝の武将能力値紹介

李勝(リショウ) 統率13 武力22 知力29 政治69 魅力55 魏の官僚。曹爽の腹心。【演義】曹爽が政権を握ると、河南尹となり政治に参画。荊州刺史に転任する際、司馬懿の様子を探るために屋敷を訪問。重病の振りをした司馬懿の演技を真に受け、曹爽に「司馬懿はもう長くはない」と報告。この報を受けた曹爽は油断し、巻狩りに出てしまう。その間に司馬懿に政権を奪われ、捕らえられて処刑された。【正史】風雅で才知があると評され、何晏と並んで曹爽に信用された。しかし、曹叡からは疎まれ、官職を剥奪された。
武将

【三国志14】楊松の武将能力値紹介

楊松(ヨウショウ) 統率2 武力5 知力28 政治34 魅力3 張魯の幕僚。【演義】楊白の兄。劉備と戦えば20州を譲り渡すと劉璋が提案してくると、張魯に承知するよう勧める。しかし、劉備の使者・孫乾から金銀財宝を受けると、劉璋の援軍に向かった馬超が裏切ったと通告し、馬超と張魯の仲を裂いた。曹操が漢中に攻め寄せ、龐徳が防戦した際も、曹操軍の賄賂を受け、龐徳の足を引っ張る。最後は張魯をだまして曹操軍の手に引き渡し、自身の安泰を図ったため、曹操に殺された。【正史】記述なし。
武将

【三国志14】李粛の武将能力値紹介

李粛(リシュク) 統率47 武力67 知力60 政治30 魅力28 董卓の武将。呂布と同郷。【演義】丁原と争った董卓が呂布に苦戦すると、呂布に赤兎馬を譲って裏切らせる策を進言。自ら呂布を説得し、丁原を討たせた。反董卓連合軍との戦いでは、華雄と共に汜水関で防戦した。その後、功績が認められないことを恨み、王允の董卓暗殺計画に参画。董卓を宮中に誘い出す役を担った。董卓の死後、長安を守って、李傕ら董卓の旧臣と戦う。しかし、牛輔の夜襲を受けて大敗し、激怒した呂布に斬られた。【正史】呂布に牛輔討伐を命じられるが敗れ、処刑された。
武将

【三国志14】楊秋の武将能力値紹介

楊秋(ヨウシュウ) 統率67 武力66 知力59 政治63 魅力46 韓遂の武将。【演義】馬騰の復讐のために挙兵した馬超と韓遂に従い、長安と潼関を連破する。渭水の戦いの最中、賈詡の離間の計によって馬超と韓遂が仲違いすると、韓遂の使者として曹操の陣を訪れ、降伏の意を伝える。戦後、侯選と共に列侯に封ぜられ、渭口の守りに就いた。【正史】後漢末、長安以西(関中)に割拠した軍閥。孔桂を使者として派遣し、曹操の機嫌をうかがっていた。渭水の戦いに敗れた後、安定に逃走。夏侯淵に包囲され、降伏する。曹丕の代に討寇将軍となり、重用された。
武将

【三国志14】李儒の武将能力値紹介

李儒(リジュ) 統率61 武力26 知力93 政治75 魅力35 董卓の参謀。【演義】董卓の女婿。何進の命を受け、洛陽に上京する董卓に同行。少帝と何太后の暗殺、長安遷都、富商の財産没収など、董卓の暴政を裏で支える。董卓が貂蝉を巡って呂布と争うようになると、貂蝉を呂布に譲るよう進言。しかし、董卓は聞く耳を持たず、「我々は全員、女の手にかかって死ぬのか」と嘆く。董卓が呂布に殺された後、王允に捕まり処刑された。【正史】「後漢書」に、董卓の命令で弘農王・劉弁に薬と偽り毒を飲ませて殺害した、と記されている。
タイトルとURLをコピーしました