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【三国志14】劉氏の武将能力値紹介

劉氏(リュウシ) 統率18 武力17 知力67 政治59 魅力68 袁紹の後妻。袁尚の母。【演義】官渡の戦い後、袁紹に袁尚を後継者とするよう勧める。202年、袁紹が死ぬと、審配、逢紀と共謀して袁尚が後継者になるように手配。その裏で密かに袁紹の5人の側室を皆殺しにした。204年、曹操が袁尚を破って鄴を平定した際、甄氏と共に捕らわれ、曹丕の保護を受けた。【正史】甄氏は夫の袁煕が幽州に赴任した時も鄴に残っていたため、劉氏と共に暮らしていた。曹丕が袁尚の館に踏み込んだ時、自ら両手を縛って恭順の意を示した。
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【三国志14】李歆の武将能力値紹介

李歆(リキン) 統率62 武力75 知力45 政治44 魅力54 蜀の武将。【演義】夏侯覇が蜀に降ったのを機に姜維が北伐の軍を起こした際、句安と共に麹山に城を築き、前進基地とした。しかし、これを見た魏の郭淮と陳泰に先んじて城を包囲され、糧道と水源を断たれてしまう。李歆は命がけで包囲を破って姜維に危機を伝えると、養生のため西川に後送された。【正史】魏軍との戦いは演義と同様だが、城を落とされて魏に降伏している。
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【三国志14】留賛の武将能力値紹介

留賛(リュウサン) 統率75 武力77 知力65 政治56 魅力66 呉の武将。留略、留平の父。【演義】252年、孫権の死に乗じて魏の司馬昭が東興に攻め寄せた時、諸葛恪の指揮下で守りきった。【正史】若くして郡の役人となり、黄巾賊の首領・呉桓を斬った。この時、片足に重傷を負うが自ら治し、以後も戦列に参加。評判を聞いた凌統の推薦で呉に仕えた。252年、東興で魏軍を大破し、左将軍に昇進。255年、孫峻の淮南遠征に参加するが、寿春に到着する前に発病し、帰還。その途上、蒋班に追撃され戦死した。
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【三国志14】李堪の武将能力値紹介

李堪(リカン) 統率58 武力68 知力33 政治36 魅力45 韓遂の武将。【演義】曹操に討たれた馬騰の復讐のため、馬超と韓遂が挙兵すると、馬超らに協力。長安、潼関を攻め落とす。しかし、賈詡の離間の計によって馬超と韓遂が仲違いしたため、渭水の戦いで敗北。馬超を狙って于禁の放った矢が当たり、戦死した。【正史】後漢末、長安以西(関中)に割拠した軍閥。211年に曹操が張魯討伐に向かった時、馬超、韓遂らと共に反乱を起こすが、戦死した。
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【三国志14】劉賢の武将能力値紹介

劉賢(リュウケン) 統率54 武力66 知力51 政治42 魅力52 零陵太守・劉度の子。【演義】赤壁の戦いの後、劉備軍が零陵に攻め込むと、邢道栄に迎撃させた。敗れた邢道栄が戻ってくると、今度は自らも出陣して劉備軍に夜襲を仕掛ける。しかし、諸葛亮に見破られ、張飛に捕らえられた。戦後、諸葛亮の説得を受けて降伏し、荊州で軍務に就いた。【正史】記述なし。
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【三国志14】李楽の武将能力値紹介

李楽(リガク) 統率57 武力70 知力36 政治13 魅力17 黄巾の武将。白波の頭目。【演義】長安を脱出した献帝を護衛するが、船にすがりつく官人たちの指を斬り捨てるなど、道中、残虐な行いが目立った。功を認められて征北将軍に任ぜられると権勢をほしいままにしたが、間もなく離反。献帝を奪おうとしたところを楊奉配下の徐晃に斬り殺された。【正史】演義と同様に献帝の脱出行を助けるが、進んで皆を助け、洛陽入りまで随行した。また、官人たちを斬り捨てたのは董承である。
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【三国志14】劉勳の武将能力値紹介

劉勳(リュウクン) 統率50 武力63 知力35 政治16 魅力32 袁術の武将。廬江太守。後に曹操に仕える。【演義】199年、孫策に攻められ、廬江を奪われた。【正史】孫策が陸康を破って廬江を平定した後、袁術から廬江太守に任ぜられる。袁術の敗死後、頼ってきた楊弘、張勳を攻撃して捕らえ、袁術の妻子を保護した。孫策に敗れて廬江を奪われた後は曹操に帰順。曹丕と酒を飲み交わすなど、曹操とのよしみをたのんで思い上がり、しばしば法を犯した。部下の過失を見逃すよう司馬芝に頼むが断られ、最後は自らの不法で処刑された。
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【三国志14】李傕の武将能力値紹介

李傕(リカク) 統率69 武力72 知力23 政治1 魅力16 董卓の武将。【演義】董卓に従って洛陽に入り、郭汜と共に汜水関を守る。反董卓軍に敗れた後、孫堅に董卓の娘との縁談を持ちかけるが、断られた。董卓が王允らに討たれると、賈詡の献策を受け、郭汜、樊稠、張済らと共に長安を襲撃。王允を討って献帝を擁立し、車騎将軍、司隷校尉となって政権を握る。195年、郭汜と仲違いし、長安を荒廃させた。献帝が長安を脱出すると、郭汜と結託して献帝を追うが、曹操に敗北。段煨に討たれた。【正史】曹操に派遣された裴茂に敗れ、処刑された。
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【三国志14】劉虞の武将能力値紹介

劉虞(リュウグ) 統率55 武力33 知力69 政治76 魅力92 後漢の幽州牧。東海恭王・劉彊[リュウキョウ](後漢光武帝の子)の子孫。劉和の父。【演義】漁陽で反乱した張挙、張純を平定するため、幽州牧として赴任。劉備と共に乱を平定し、太尉となる。【正史】皇族の中で特に徳望が篤かった。幽州牧として赴任後、融和政策により東方異民族を統治し、民心を安定させる。董卓が献帝を擁立した後、袁紹と韓馥から皇帝に担ぎ上げられそうになるが、漢室への恭順を貫き、拒否した。異民族統治策での意見の違いから、次第に公孫瓚との仲が悪化。193年、公孫瓚と戦って敗れ、刑死した。
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【三国志14】李恢の武将能力値紹介

李恢(リカイ) 統率78 武力65 知力78 政治77 魅力74 劉璋の武将。後に劉備に仕える。【演義】劉璋が劉備に救援を求めると、反対したが聞き入れられなかった。劉璋を見限って劉備に仕え、馬超を説得して帰順させる。その後は諸葛亮の北伐に参加した。【正史】董和の推薦で州郡に赴く途中で、劉備が劉璋を攻撃したことを聞き、劉璋の敗北を予測して劉備に仕えた。劉備の死後、南方で異民族の反乱軍に包囲されるが、計略を使い包囲網を突破。諸葛亮と協力して反乱を鎮圧した。諸葛亮が去った後、再び起こった反乱も平定。物資と人員を成都に送り、北伐の原動力となった。
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