三国志13

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【三国志13】呉蘭 の武将能力値紹介

呉蘭(ゴラン) 統率68 武力80 知力35 政治36 劉備の武将。【演義】劉璋に仕える。劉備が蜀を攻めた際、劉循、呉懿、雷銅と共に張任が籠もる雒城[ラクジョウ]を救援するが、捕らえられ降伏。以後は劉備配下の将となる。曹操との漢中攻防戦では、馬超の指揮下で下弁を守り、曹洪に敗れる。その後、漢水付近の戦いで曹操の加勢に来た曹彰と遭遇し、数合で斬られた。【正史】劉璋の配下だったという記述はない。218年、劉備の命で雷銅と共に武都を攻めるが、曹洪、曹休、張既に敗れ全滅。氐[テイ]族の強端に斬られた。
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【三国志13】皇甫嵩 の武将能力値紹介

皇甫嵩(コウホスウ) 統率89 武力61 知力73 政治57 後漢の官僚。【演義】盧植、朱儁と共に、何進から黄巾賊討伐を命じられる。曹操を指揮下に加え、張宝と張梁を火攻めで撃破。曲陽で張梁を斬るなど活躍し、乱の平定後、車騎将軍、冀州牧となる。戦中に宦官への賄賂を拒否して罷免された盧植を復職させるが、自らも賄賂を拒み免職された。後に王允が董卓を討った際、呂布と共に郿[ビ]を攻めた。【正史】188年、董卓、陶謙、孫堅らと共に韓遂の反乱鎮圧に派遣された際、董卓の恨みを買い、董卓が政権を握ると捕らえられた。董卓の死後、太尉となる。
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【三国志13】高幹 の武将能力値紹介

高幹(コウカン) 統率74 武力56 知力48 政治59 袁紹の甥。并州刺史。高柔の従兄。【演義】官渡の戦いの後、袁紹の援軍となり倉亭で曹操と戦うが敗れる。袁紹の死後、袁譚、袁煕、袁尚らと共に黎陽で再び曹操と戦うが敗れ、并州に帰還。壺関に籠もって李典、楽進、張燕の攻撃を防ぐが、偽って投降してきた呂曠、呂翔にあざむかれ逃走。匈奴の左賢王に援助を断られ、荊州の劉表を頼る途中、王琰に殺された。【正史】袁紹から并州牧に任ぜられる。曹操が鄴を占領すると降伏し、并州刺史に任ぜられた。曹操が烏丸討伐に向かうと再度挙兵し、壺関に立て籠もった。
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【三国志13】許攸 の武将能力値紹介

許攸(キョユウ) 統率36 武力21 知力80 政治56 袁紹の幕僚。曹操とも親しかった。【演義】冀州を支配した袁紹に仕える。官渡の戦いで曹操軍の兵糧欠乏を知り、袁紹に速攻を促す。しかし、政敵の審配から一族の不正を中傷され、袁紹の怒りを買い曹操に投降。袁紹軍の兵糧基地がある烏巣[ウソウ]を急襲させ、曹操の勝利に貢献した。袁家の拠城・鄴に曹操軍が入城した時、「自分がいなければ鄴に入れなかった」と言って諸将の不興を買い、許褚に斬られた。【正史】黄巾の乱の後、王芬[オウフン]らと共に霊帝廃位を計画。曹操も誘うが断られ、計画は失敗した。
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【三国志13】韓馥 の武将能力値紹介

韓馥(カンフク) 統率28 武力3 知力27 政治62 後漢の冀州刺史。【演義】曹操が発した董卓打倒の呼びかけに応じた諸侯の1人。汜水関の戦いで配下の潘鳳を董卓軍の華雄に討たれる。反董卓連合解散後、公孫瓚に狙われていると袁紹に脅され、袁紹に協力を要請。冀州に入った袁紹に所領を乗っ取られた。その後、陳留の張邈を頼った。【正史】袁紹と共に劉虞を皇帝に即けようと画策した。公孫瓚が勢力を拡大すると、自発的に袁紹に地位を譲って張邈の下に逃亡。袁紹の使者が張邈に耳打ちするのを見て命を狙われていると疑い、自害した。
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【三国志13】華雄 の武将能力値紹介

華雄(カユウ) 統率84 武力91 知力62 政治42 董卓の武将。身長9尺。【演義】袁紹を盟主とする反董卓連合軍が汜水関に攻め寄せた時、董卓軍の先鋒として胡軫、李粛、趙岑らと共に出陣。緒戦で鮑信の弟・鮑忠を斬り、連合軍の先鋒・孫堅を破って、孫堅の身代わりになった祖茂を討つ。続いて袁術配下の兪渉、韓馥配下の潘鳳を斬り、連合軍を震え上がらせるが、まだ無名だった関羽に討ち取られた。【正史】董卓の都尉。陽人で孫堅軍と交戦するが、討ち取られた。
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【三国志13】楽綝 の武将能力値紹介

楽綝(ガクチン) 統率73 武力75 知力43 政治41 魏の武将。楽進の子。【演義】曹真の副先鋒となり、先鋒の張虎と共に諸葛亮の北伐軍と戦う。祁山[キザン]の戦いでは諸葛亮の陣を破れずに捕らえられ、裸にされ顔に墨を塗られて帰された。諸葛亮の北伐が終わると、公孫淵の討伐戦に参加。その後、揚州刺史となる。反逆の疑いがある諸葛誕を除こうとする賈充からの密書を受け取るが諸葛誕に見つかり、先制攻撃を受けて殺された。【正史】父親譲りの剛毅な性格で、風貌も似ていた。死後、衛尉を追贈された。
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【三国志13】于糜 の武将能力値紹介

于糜(ウビ) 統率45 武力61 知力28 政治19 劉繇の武将。【演義】孫策に一騎討ちを挑むが生け捕られてしまう。救出を試みた樊能は、孫策の大喝を浴びせられ落馬死する。孫策は于糜を脇に抱えて帰還するが、于糜は息絶えていた。【正史】樊能と共に長江の横江津を守備し、袁術軍の攻撃を数年間防いだ。袁術軍に加わった孫策に負け横江津を奪われる。反攻に出て牛渚を取り返すが、孫策の攻撃を受け再び敗北する。
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【三国志13】王経 の武将能力値紹介

王経(オウケイ) 統率67 武力63 知力71 政治75 魏の雍州刺史。平民の出から名士となった。【演義】255年、姜維の北伐軍に狄道[テキドウ]で包囲されるが、陳泰と鄧艾の救援でしのいだ。曹髦から司馬昭討伐の密議を持ちかけられるといさめたが、聞き入れられなかった。同席した王業、王沈に出頭するよう勧められるが断り、母親ともども捕らえられる。死に場所を得られたと笑う母親と共に処刑され、一族も皆殺しにされた。【正史】崔林に抜擢された。母親から出世しすぎるのは不吉だと説かれながらも、昇進を続けた。処刑されたのは王経だけで母親は無事だった。
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【三国志13】于詮 の武将能力値紹介

于詮(ウセン) 統率64 武力76 知力40 政治39 呉の武将。【演義】魏の諸葛誕が反乱を起こした時、朱異、唐咨らと共に諸葛誕への援軍のため派遣された将軍の1人。諸葛誕の死後、寿春城に突入してきた王基から降伏を勧められるが「加勢を命じられたのに、役目も果たさず降ることなどできぬ」と拒み、戦死した。【正史】演義と同様。
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