三国志13

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【三国志13】朶思大王 の武将能力値紹介

朶思大王(ダシダイオウ) 統率62 武力59 知力70 政治54 南蛮の禿龍洞[トクリュウドウ]の洞主。【演義】諸葛亮率いる蜀の南蛮制圧軍に追い立てられた孟獲をかくまった。毒泉で蜀軍を苦しめるが、孟獲の兄・孟節の助力を得た蜀軍に突破される。その後、援軍だと思っていた銀冶洞主[ギンヤドウシュ]・楊鋒の美女軍団に捕らえられた。諸葛亮に解放されると、三江城に籠城。毒矢で蜀軍を苦しめるが、土嚢を積み上げられて城壁を突破され、乱戦の中、戦死した。【正史】記述なし。
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【三国志13】孫権 の武将能力値紹介

孫権(ソンケン) 統率79 武力67 知力80 政治89 孫堅の次男。母は正妻の呉氏。孫策の弟。呉の大皇帝。【演義】若くして孫策の後を継ぎ、江東を支配。208年、父の仇だった黄祖を討ち、劉備と結んで赤壁の戦いで曹操を撃退。以後、合肥[ガッピ]で曹操軍と戦うが、荊州を巡り劉備との対立が表面化。今度は曹操と結んで劉備の義弟・関羽を討ち、関羽の復讐戦を挑んできた劉備も夷陵の戦いで大破して荊州を支配した。劉備の死後は蜀と同盟し、再び魏と断交。229年、呉を建国した。【正史】若い頃、人材掌握では孫策以上と評されたが、晩年は後継者問題を起こし、陸遜ら多くの能臣を死なせた。
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【三国志13】曹真 の武将能力値紹介

曹真(ソウシン) 統率83 武力75 知力74 政治73 曹操の族子。曹邵[ソウショウ]の子(秦伯南説も)。【演義】曹丕が呉を討伐した時、夏侯尚と共に南郡を攻撃した。曹丕の臨終の際は、陳羣、司馬懿と共に後事を託される。蜀の諸葛亮が北伐を開始し、夏侯楙が迎撃に失敗すると、大都督となり防衛に当たった。蜀軍の長安への侵攻は阻止したが、諸葛亮や司馬懿の才には及ばず、心労から病を得、諸葛亮に書状で挑発されて憤死した。【正史】曹邵が曹操の身代わりとなって死んだため、曹操に引き取られ、曹丕と兄弟同然に育てられた。蜀との戦いの後に病死するが、諸葛亮の書状に関する記述はない。
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【三国志13】薛綜 の武将能力値紹介

薛綜(セツソウ) 統率34 武力16 知力73 政治80 呉の官僚。薛珝、薛瑩の父。【演義】孫策の後を継いだ孫権に招かれた。赤壁の戦いの直前、諸葛亮が劉備と孫権の同盟を結ぶために呉を訪れた時、張昭らと共に論戦を挑むが退けられた。【正史】若い頃、交州に疎開し、劉煕に学んだ。交趾太守・士燮が孫権の支配下に入ると、孫権に仕えて合浦や交趾の太守となり、交州刺史・呂岱と共に九真郡まで遠征した。孫権の皇帝即位後、尚書僕射、太子少傅(皇太子の補導官)などを歴任。自らの詩賦をまとめた「私載」や「五宗図述」などの著作がある。
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【三国志13】徐質 の武将能力値紹介

徐質(ジョシツ) 統率68 武力83 知力24 政治26 魏の武将。大斧の使い手。司馬師に武勇を評価される。【演義】253年、羌族と結託した蜀の姜維が北伐を起こした際、司馬昭の先鋒となり、廖化と張嶷を撃退。しかし、鉄籠山[テツロウザン]で姜維の伏兵に遭い、戦死した。【正史】249年、姜維が麹山に進出した時、陳泰の指揮下で鄧艾と共に迎撃し、蜀の句安[コウアン]、李歆[リキン]らを包囲して投降させた。254年、狄道[テキドウ]で蜀軍と交戦し、張嶷を戦死させるが、狄道を守備していた李簡が姜維に降伏したため襄武で包囲され、討ち取られた。
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【三国志13】蒋舒 の武将能力値紹介

蒋舒(ショウジョ) 統率55 武力76 知力35 政治29 蜀の武将。【演義】姜維の北伐に従って信任を得、傅僉と共に陽平関の守りについた。鍾会の軍勢が陽平関を攻めた際、その威勢に恐れをなし、傅僉が出陣している間に降伏して陽平関を明け渡した。【正史】武興の督だった頃、功績がなかったため漢中太守の補佐に回された。その事を恨んで降伏を決めたとされている。鍾会の軍勢が来襲した際、籠城を主張する傅僉と別れて陰平に向かい、魏の胡烈に降った。
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【三国志13】朱拠 の武将能力値紹介

朱拠(シュキョ) 統率77 武力57 知力72 政治70 呉の武将。朱桓の同族。「呉の四姓」朱家の出。【演義】記述なし。【正史】孫権から呂蒙、張温の後継者として期待された。孫権が帝位に即くと左将軍となって孫権の娘・孫魯育を娶り、後に驃騎将軍まで昇進した。しかし、孫権の後継を巡って太子の孫和と魯王・孫覇が争った際、孫和を支持して孫権に直言したため怒りを買う。新都郡丞への左遷を命じられ、孫権が病床にある間に孫弘によって出された偽詔で自殺を命じられた。
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【三国志13】士燮 の武将能力値紹介

士燮(シショウ) 統率53 武力31 知力76 政治80 後漢の臣。【演義】記述なし。【正史】父の死後、交阯太守となる。孫権が交阯を支配するとその配下となった。都より離れた土地で権勢をほしいままにし、多くの献上品を孫権に贈った。
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【三国志13】項燕 の武将能力値紹介

項燕(コウエン) 統率88 武力80 知力77 政治70 戦国末期の楚の将軍。下相の人。項梁、項伯の父。項羽の祖父。項氏は代々楚の将軍を務め、項の地に封ぜられたため項姓を名乗った。秦王・嬴政が李信と蒙恬に20万の兵を与えて楚攻略を命じた際、二手に分かれていた李信と蒙恬の軍が城父で合流したところを急襲し、秦軍を破る。その後、秦の王翦が60万の大軍で楚に侵攻してくると、楚軍を率いて対峙。王翦は堅守して楚軍に隙ができるのを待ち、項燕の軍を奇襲して大破。楚王・負芻[フスウ]を捕虜とした。項燕は楚の公子・昌平君を楚王に擁立して反抗したが、王翦に敗れて戦死した。
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【三国志13】韓莒子 の武将能力値紹介

韓莒子(カンキョシ) 統率51 武力59 知力51 政治46 袁紹の武将。【演義】官渡の戦いで、眭元進、呂威璜、趙叡らと共に淳于瓊に従って兵糧基地のある烏巣を守る。しかし、曹操の夜襲を受け、兵糧を焼き払われた。【正史】曹操に烏巣を急襲された際、斬られた。
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