三国志13

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【三国志13】郭図 の武将能力値紹介

郭図(カクト) 統率52 武力50 知力82 政治68 袁紹の参謀。袁紹の死後は袁譚に仕える。【演義】官渡の戦いの前、袁紹が臣下に曹操との開戦の是非を問うた時、開戦を主張した。劉備が袁紹を頼ると殺すように勧める。烏巣[ウソウ]の兵糧庫が襲撃された時、張郃と高覧に曹操の本陣を攻めさせるが失敗し、自らの責任を張郃らになすりつけたため、2人は曹操軍に寝返った。袁紹の死後、審配、逢紀と対立し、辛評と共に袁譚に仕える。一時的に曹操に降伏して袁尚を討とうとするが、結局は曹操に南皮城を包囲され、楽進に射殺された。【正史】献帝が長安を脱出した際、擁護するよう進言した。
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【三国志13】応劭 の武将能力値紹介

応劭(オウショウ) 統率73 武力26 知力72 政治76 後漢の学者。「風俗通義」「漢官儀」などを著した。【演義】曹操に父・曹嵩を送迎するよう命令されるが、陶謙配下の裏切りで曹嵩を殺害してしまう。曹操に恨まれることを恐れて袁紹を頼って逃げた。【正史】泰山太守の時、黄巾賊の大軍に対して大勝を収める。袁紹の元にいる間に、文化や制度を後世に残すため「漢官儀」や「漢官礼儀故事」を著作。また、「漢書」の注釈も記している。鄴で没した。
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【三国志13】王伉 の武将能力値紹介

王伉(オウコウ) 統率76 武力60 知力61 政治62 蜀の永昌太守。【演義】孟獲が雍闓、高定、朱褒らと組んで蜀に反乱を起こした時、同調しなかったため包囲される。諸葛亮が来援するまで、呂凱と共に城を死守し、諸葛亮から称賛された。【正史】雍闓の反乱が平定された後、諸葛亮から「絶縁の地にあって忠誠を尽くすこと十数年」と称賛され、永昌太守に任ぜられた。
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【三国志13】衛瓘 の武将能力値紹介

衛瓘(エイカン) 統率69 武力46 知力79 政治78 衛凱(正史では衛覬[エイキ])の子。魏の臣。【演義】鍾会と鄧艾が蜀を討伐した時、監軍として従軍。鍾会と鄧艾が反目するようになると、鍾会の命で鄧艾父子を捕らえる。鍾会が姜維と共に反乱を起こすと反乱の鎮圧に当たり、一方で田続に鄧艾父子を殺させた。【正史】鄧艾を巡る処置を杜預に批判され、謝罪した。蜀攻略の功績で鎮西将軍となる。晋では青州刺史、征東大将軍、幽州刺史、司空などを歴任。恵帝の補佐に当たるが、賈后の恨みを買って処刑された。草書に巧みで、索靖と共に「二妙」と称された。
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【三国志13】楽進 の武将能力値紹介

楽進(ガクシン) 統率80 武力85 知力56 政治51 曹操の武将。楽綝の父。【演義】曹操の挙兵から従軍し、各地で転戦する。袁家討伐戦では郭図を射殺し、李典らと共に高幹が守る壺関を攻め落とした。赤壁の戦いの後、李典と共に張遼の副将となり合肥[ガッピ]を守る。逍遥津[ショウヨウシン]の戦いではわざと負けて孫権軍を誘い込み、張遼の奇襲を成功させた。直後の濡須口攻防で凌統と渡り合い、凌統を追いつめたところに甘寧の矢を受け帰陣した。【正史】小柄ながらも驍勇[ギョウユウ]果断。張遼、于禁、張郃、徐晃と並ぶ名将。官渡の戦いでは淳于瓊を斬った。
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【三国志13】岑威 の武将能力値紹介

岑威(シンイ) 統率56 武力66 知力48 政治54 魏の武将。【演義】司馬懿の指揮の下、諸葛亮の北伐軍を迎え撃つ作戦に参加する。蜀軍の木牛・流馬を真似て作った輸送道具を用い、兵糧輸送の任に就いた。魏軍に変装して紛れていた蜀の王平に攻められ、敗死する。【正史】記述なし。
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【三国志13】張華 の武将能力値紹介

張華(チョウカ) 統率36 武力27 知力78 政治79 晋の官僚。【演義】司馬炎と碁を打っている最中に杜預から呉討伐の上奏があり、杜預に同調して作戦実行を勧めた。晋軍が連勝する中、賈充が長期戦を警戒して一度退却を命じるように進言した際、あとひと押しだから攻撃を続行する方がよいと述べ、司馬炎は攻撃を続行した。【正史】名書家として有名。陳寿は張華に認められて、「三国志」の編纂に当たった。また、博学多才で「博物志」を著している。恵帝の時に侍中、司空などを歴任したが八王の乱で趙王・司馬倫に殺された。
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【三国志13】桓範 の武将能力値紹介

桓範(カンハン) 統率40 武力11 知力78 政治74 魏の臣。智嚢(知恵袋)と称される策士。曹爽の懐刀。【演義】曹芳の代に曹爽が実権を握ると、大司農に任ぜられる。巻き狩りに出ようとする曹爽に、司馬懿の動きを警戒するよう進言するが、聞き入れられなかった。予見通り司馬懿によって洛陽が占拠されると、単身脱出して曹爽に面会し、許昌で抗戦するよう勧める。しかし、これも聞き入れられず、天を仰いで嘆く。間もなく曹爽一党と共に捕らえられ、三族ともども処刑された。【正史】王象らと共に「皇覧」の編集に当たった。曹爽から郷里の先輩として敬われるが、あまり親近しなかった。
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【三国志13】呂不韋 の武将能力値紹介

呂不韋(リョフイ) 統率72 武力42 知力88 政治89 戦国時代の秦の宰相。文信侯。商人の家に生まれ、巨富を築いた。趙で人質となっていた秦の公子・子楚(のちの荘襄王)を庇護し、王位につける事に尽力。その功によって秦の丞相となり、文信侯に封ぜられ、洛陽に食邑10万戸を得る。荘襄王の死後、嬴政の生母である太后の密通事件に連座して失脚し、服毒自殺した。呂不韋が嬴政の実父である、という説もある。3000人の食客を抱え、諸説を折衷して「呂氏春秋」を編纂。「奇貨居くべし」「一字千金」の故事で知られる。
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【三国志13】范蠡 の武将能力値紹介

范蠡(ハンレイ) 統率82 武力63 知力99 政治88 戦国時代の越の臣。越王勾践を助け、中国四大美人のひとり・西施を送るなどの策によって呉王・夫差を打倒した。勾践が呉を滅ぼすと、最大の功労者であるにも関わらず「狡兎死して走狗烹らる」と残し、引退した。その後勾践は疑り深くなり、讒言を信じて数々の功臣を害したが、范蠡はその害をまぬがれた。引退の後、名を変えて大商人となった伝説がある。
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