武将 【三国志13】陸鬱生 の武将能力値紹介 陸鬱生(リクウツセイ) 統率22 武力33 知力71 政治70 呉の陸績の娘。張温の弟・張白の妻。【演義】記述なし。【正史】陸績が鬱林[ウツリン]に赴任している間に生まれたので、この名が付いた。13歳で同郡出身の張白の妻となる。嫁いで3カ月後、張白が一族の事件に連座して流され、流刑地で死んだため、未亡人となる。その後は夫に操を立てることを公言。生活に困っても再婚話はすべて断り、張白の姉妹に仕えることをやめなかった。 武将
武将 【三国志13】曹沖 の武将能力値紹介 曹沖(ソウチュウ) 統率31 武力21 知力85 政治79 曹操の子。母は環氏。曹拠、曹宇の兄。鄧哀王。【演義】記述なし。【正史】年少期から聡明で理解力に優れていた。202年、孫権から象が献上された際、群臣の中で1人だけ象の重さの量り方を考案し、曹操を喜ばせた(象を船に乗せ、水面が来た所に印を付け、象を降ろした後に同じ印の所まで石を積み、石の総重量を量る)。判断力、仁愛の情を曹操から愛されていたが、13歳で病没。名医の華佗を処刑したことを曹操に後悔させた。曹丕も「倉舒が生きていたら後継者になれなかった」と漏らしている。 武将
武将 【三国志13】楊洪 の武将能力値紹介 楊洪(ヨウコウ) 統率45 武力52 知力64 政治52 蜀の官僚。【演義】初め劉璋に仕えていたが、劉備の入蜀に際して改めて蜀の文官として雇用された。のちに重臣の一人として諸葛亮に協力し、劉備の皇帝即位に尽力している。【正史】劉備に仕えた当初は李厳のもとで役人をしていたが、誠実で清廉な上に有能であったために諸葛亮に信頼され、のちに法正の後任として蜀郡太守に任じられた。 武将
武将 【三国志13】成宜 の武将能力値紹介 成宜(セイギ) 統率74 武力72 知力41 政治48 韓遂の武将。【演義】曹操に殺された馬騰の復讐戦に臨む馬超と韓遂に呼応し、長安を攻め落とす。渭水の戦いで、渭水北岸にあった曹操の陣営に夜襲をかけるが見破られ、夏侯淵に斬られた。【正史】後漢末、長安以西(関中)に勢力を張った軍閥の一角。211年、曹操が西征の動きを見せると、馬超や韓遂と共に挙兵する。しかし、賈詡の離間の計によって馬超と韓遂が対立。そこを曹操軍に攻められ、李堪と共に敗死した。 武将
武将 【三国志13】婁圭 の武将能力値紹介 婁圭(ロウケイ) 統率52 武力13 知力87 政治67 曹操の幕僚。【演義】夢梅居士[ムバイコジ]と号し、終南山で隠居していた。渭水の戦いで馬超軍の夜襲に悩む曹操に、寒気を利用して氷の城を作るよう教えた。【正史】若い頃、曹操と縁故があった。諸侯が董卓打倒の軍を起こした時、荊州の北境で兵を集め、劉表と同盟を結ぶ。その後、曹操に仕え、軍事、国家の大計には必ず参画。馬超の討伐では多大な功績を上げ、曹操に「子伯の立てる計略は、わしも及ばぬ」と評された。しかし、後に不遜な発言をしたため、曹操に処刑された。 武将
武将 【三国志13】諸葛尚 の武将能力値紹介 諸葛尚(ショカツショウ) 統率64 武力79 知力62 政治55 蜀の丞相・諸葛亮の孫。諸葛瞻の長子。【演義】魏の鄧艾が蜀に侵攻した時、綿竹関で父と共に迎撃する。緒戦は諸葛亮の木像を押し立てて鄧艾軍の鄧忠、師纂らを迎撃し、自ら勇戦して両将を追い返した。しかし、呉に要請した援軍を待ちきれずに諸葛瞻が出陣し戦死すると、張遵のいさめを振り切って出陣し、乱戦の中で戦死した。【正史】「国から大恩を受けながら、黄皓を斬らなかったばかりに敗北を招いてしまった。これ以上、生きていて何になろうか」と嘆き、魏軍に突撃して戦死した。 武将
武将 【三国志13】韓武 の武将能力値紹介 韓武(カンブ) 統率74 武力61 知力80 政治83 戦国時代の韓の君主。韓の昭侯。「呂氏春秋」では、昭釐侯[ショウリコウ]。父は先代の懿侯(共侯、荘侯とも。名は若山)。韓は「戦国七雄」の中でも最弱国で、常に近隣の秦や魏に脅かされていた。昭侯は、鄭の下級身分出身の法家・申不害を登用し宰相に任命。申不害は宰相の任にあった15年の間に富国強兵を行って韓の全盛期を築き上げ、秦や魏に国境を侵させなかった。申不害の死から3年、韓で旱魃があった年に高門の造営に取りかかり、楚の屈宜臼から「民の危急を憐れまず、時が衰えたのに奢侈になった」と批判された。翌年、死去。 武将
武将 【三国志13】荀彧 の武将能力値紹介 荀彧(ジュンイク) 統率62 武力14 知力95 政治99 曹操の参謀。荀攸の従父。元は袁紹配下。【演義】兗州の黄巾残党を平定して人材を募った曹操の配下に加わる。曹操は荀彧を得ると「我が子房だ」と喜んだ。呂布に兗州を襲われた際、程昱と共に三県を死守。李傕の下を離れた献帝を保護するよう進言し、官渡の戦いでは劣勢で弱気になった曹操を励ますなど、第一の謀臣として曹操軍を支えた。しかし、曹操の魏公就任に反対したため不興を買い、何も入っていない器を送られ(お前は用済みだという意味)、服毒死した。【正史】三公を出した名門の出。「王佐の才」と評された。 武将
武将 【三国志13】司馬昭 の武将能力値紹介 司馬昭(シバショウ) 統率76 武力57 知力87 政治88 司馬懿の次男。司馬師の弟。司馬炎、攸の父。晋文帝。【演義】字は子尚。司馬懿に従い、諸葛亮の北伐軍防衛、公孫淵討伐などで活躍した。兄の大将軍・司馬師が死ぬと、政権を継承。司馬家に反発する諸葛誕が反乱を起こすと、魏帝・曹髦を擁して鎮圧した。その威を恐れた曹髦に誅殺されそうになるが、未然に察知。曹髦を討って曹奐を立て、曹髦に荷担した王経を処断した。263年、鍾会と鄧艾を派遣して蜀を滅ぼす。翌年、晋王となった。【正史】晋公から晋王に昇格した際、自分におもねらなかった太尉の王祥を厚遇した。 武将
武将 【三国志13】田因斉 の武将能力値紹介 田因斉(デンインセイ) 統率75 武力64 知力81 政治88 戦国時代の斉の君主。斉の威王。桓公の子。田斉の初代の王。即位以来9年間、国事を顧みなかったが、配下の謎かけに大悟して政務に励み、国内の綱紀を一気に粛正したという「鳴かず飛ばず」の故事で知られる。孫臏を軍師に登用し、趙の要請により魏と戦った際には「囲魏救趙の計」を採用して大勝。また首都の稷門に全国から学者を集め、学問を振興。彼らは「稷下の学士」と呼ばれ、臨淄は学府としても栄えた。鄒忌の進言を容れて、威王に諌言した者には賞を与える、という政令を出して自らを改めるなど、独創的な政策で国力を高めた。 武将