三国志13

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【三国志13】鮑叔牙 の武将能力値紹介

鮑叔牙(ホウシュクガ) 統率53 武力46 知力82 政治87 春秋時代、斉の臣。管夷吾(菅仲)とは無二の親友であり、その才能を誰よりも認めていた。斉に内乱が生じたときは、桓公の即位に貢献。桓公が、政敵に仕えていた管夷吾を殺させようとすると、「斉のみを治めるなら私で十分だが、天下を治めるならば菅仲が必要」といさめ、取り立てるように主張した。結果、管夷吾は宰相に抜擢されたが、鮑叔牙はそれを妬むことなく政務を補佐し続けた。管夷吾と鮑叔牙の友情は、後世に「菅鮑の交わり」という言葉を生み、利害にとらわれない親密な関係のたとえとなった。
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【三国志13】陳琳 の武将能力値紹介

陳琳(チンリン) 統率25 武力9 知力75 政治78 後漢の官僚。袁紹、曹操に仕える。建安七子の1人。【演義】宦官討伐のため、何進が群雄に上洛を命じるのをいさめるが、聞き入れられなかった。董卓が政権を握ると冀州に逃れ、袁紹に従う。官渡の戦いの前、曹操打倒の檄文を起草し、敵将の曹操からも名文と称された。袁紹の死後、審配と共に鄴を守る。鄴が陥落すると捕らえられ、曹操に父や祖父を侮辱する檄文をなぜ書いたと詰め寄られるが「引き絞った矢は放たぬわけにはいかない」と言い放ち、才を惜しんだ曹操に用いられた。【正史】長城の苦役を詠んだ「飲馬長城窟行」などが遺る。
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【三国志13】孟獲 の武将能力値紹介

孟獲(モウカク) 統率82 武力87 知力42 政治45 南中の土豪(演義では南蛮王)。祝融の夫。孟優の兄。【演義】劉備の死後、司馬懿が曹丕に献策した五路からの蜀侵攻作戦で一角を担い、蜀に攻め入った。225年、雍闓らと組んで蜀打倒の兵を挙げ、諸葛亮率いる南征軍と戦う。諸葛亮の機略に敗れ、六度捕らえられても服従せずに解放されるが、七度目に捕らえられると心服(七縦七擒)。自治を委ねられ、以後、蜀に背かぬと誓った。【正史】劉備が死んだ223年、蜀南方で反乱が相次ぎ、孟獲はその一角だった。孟獲が服従した後も南蛮では反乱が続き、李恢、馬忠らが平定に奔走した。
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【三国志13】張宝 の武将能力値紹介

張宝(チョウホウ) 統率80 武力71 知力81 政治76 黄巾の首領・張角の次弟。張梁の兄。地公将軍。【演義】張梁と共に潁川の黄巾軍を率い、皇甫嵩と朱儁が率いる官軍を迎撃。長社で火攻めに遭い、さらに曹操の急襲を受けて敗北。烈風や雷を起こす妖術を使ってなおも官軍を苦しめるが、朱儁に術を破られ、劉備の矢を受けて陽城に敗走した。朱儁に包囲されて落城が迫ると部下の厳政に刺し殺され、首を献じられた。【正史】皇甫嵩と郭典に下曲陽で敗れ、斬られた。
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【三国志13】傅巽 の武将能力値紹介

傅巽(フソン) 統率29 武力13 知力70 政治72 劉表の幕僚。後に曹操に仕える。傅嘏の伯父。【演義】劉表の死後、曹操が荊州を攻める動きを見せると、劉表の後を継いだ劉琮に降伏を進言。このことが曹操に評価され、登用された。【正史】容貌優れ、博学。龐統を「不完全な英雄」、裴潜を「清潔な品行で名を挙げる」、魏諷を「いずれ謀反を起こす」と評価し、的中させた。曹操の魏公就任、曹丕の皇帝即位に貢献。曹丕の代に侍中尚書となった。
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【三国志13】馬鉄 の武将能力値紹介

馬鉄(バテツ) 統率70 武力62 知力58 政治52 馬騰の三男。馬超、馬休の弟。【演義】孫権討伐の命を受けて許昌に呼び寄せられた馬騰に同行。馬騰と黄奎[コウケイ]による曹操討伐の密議が発覚して曹操軍に攻められ、乱戦の中、戦死した。その報せを受けた馬超は激怒し、曹操に復讐戦を挑むことになる。【正史】馬騰、馬休と共に上京。鄴に移住していたが、馬超が反乱を起こしたため、一族もろとも処刑された。
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【三国志13】張球 の武将能力値紹介

張球(チョウキュウ) 統率69 武力72 知力44 政治30 魏の武将。【演義】諸葛亮の第5次北伐に呼応して呉の陸遜が来襲した際、曹叡の指揮下で迎撃に当たる。巣湖口にある呉の水塞に満寵と共に夜襲を仕掛け、諸葛瑾の水軍を大破。これにより陸遜は撤退を余儀なくされ、魏は諸葛亮の北伐軍との戦いに専念できた。【正史】記述なし。
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【三国志13】孫仲 の武将能力値紹介

孫仲(ソンチュウ) 統率62 武力71 知力36 政治8 黄巾の武将。【演義】張角が病死した後も、趙弘、韓忠と共に宛城に籠もって抵抗を続ける。朱儁と劉備が率いる討伐軍が来襲すると、突破して逃れようとしたが、劉備が放った矢に当たり、戦死した。【正史】南陽黄巾の張曼成、趙弘、韓忠が朱儁らに討たれた後、孫夏が総帥となって抵抗を続けた。しかし、孫夏も朱儁に斬られ、南陽の黄巾賊は解散する。演義の孫仲はこの孫夏を描いたものと思われる。
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【三国志13】龐涓 の武将能力値紹介

龐涓(ホウケン) 統率79 武力72 知力82 政治78 戦国時代の魏の将軍。孫臏と共に兵法を学ぶ。魏の恵王に仕えて将軍となると、自分より優秀な孫臏の存在を恐れ、魏に呼び寄せて罪を着せ、足切り刑と黥(入れ墨)刑に処した。のちに龐涓率いる魏軍に攻め入られた韓は、斉に救援を依頼。斉は孫臏を軍師とする軍を魏都・大梁に向けて派遣する。魏軍が引き返すと斉軍はわざと退却して馬陵におびき寄せ、孫臏が大木に刻んだ「龐涓死于此樹之下」の一文を龐涓が読み終えぬうちに一万の弩を斉射。魏軍は大敗し、龐涓は「あの豎子に名を成さしめたか」と言い残して自刎した。
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【三国志13】毛玠 の武将能力値紹介

毛玠(モウカイ) 統率63 武力39 知力60 政治78 曹操の幕僚。【演義】満寵と呂虔の推挙で、曹操に招かれる。曹操が献帝を擁護すると、典農中郎将となり税の監督官となった。徐州の劉備を討伐した際、強風で旗が折れたのを見て、劉備軍の夜襲を察知する。赤壁の戦いでは、蔡瑁と張允が討たれた後、于禁と共に水軍都督となった。【正史】崔琰と共に官吏選抜を担当。清廉公明な人選で堅苦しいと苦情が出るほどだったが、曹操に擁護された。216年、崔琰の処刑に不満を漏らしたと訴えられ入獄。桓階、和洽[カゴウ]の弁護で死は免れるが、免職された。
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