三国志13

武将

【三国志13】高覧 の武将能力値紹介

高覧(コウラン) 統率76 武力82 知力68 政治55 袁紹の武将。【演義】官渡の戦いで烏巣[ウソウ]の兵糧基地が曹操軍に急襲された際、郭図の命を受け張郃と共に曹操の本陣を攻めるが、夏侯惇に撃退された。郭図が自らの失策の罪をなすりつけようとしたため、張郃と共に曹操に降伏。以後は曹操軍の一員として袁紹軍と戦った。後に汝南で割拠した劉備を攻撃し、劉辟を3合で斬り伏せるが、趙雲にひと突きで討ち取られた。【正史】曹操が淳于瓊を攻めた際、袁紹の命で張郃と共に曹洪を攻めるが、淳于瓊が敗北すると曹操に降伏した。
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【三国志13】厳畯 の武将能力値紹介

厳畯(ゲンシュン) 統率28 武力2 知力71 政治84 呉の官僚。【演義】孫策の死後、後を継いだ孫権から招かれる。赤壁の戦いの前、孫権軍と劉備軍の同盟を結ぶため呉を訪れた諸葛亮に対し、張昭らと共に論戦を挑んで阻止しようとするが、逆に論破された。【正史】若くして学問を修め、「詩経」「書経」「三礼」に通じた。張昭の推薦で孫権に仕える。軍事は苦手で、魯粛の後任になるのを固辞した。孫権が即位した後、蜀への使者となって諸葛亮に評価された。78歳で死去。著作に「孝経伝」「潮水論」がある。
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【三国志13】魏攸 の武将能力値紹介

魏攸(ギユウ) 統率46 武力29 知力74 政治74 後漢の臣。幽州牧・劉虞に従軍する。【演義】記述なし。【正史】袁紹に敗れた公孫瓚を劉虞が討伐しようとした時、「乱世に謀臣と勇士は不可欠である。公孫瓚は文武共に優れているから、小さな欠点には目をつぶってその才能を生かすべきだ」といさめた。その1年後に魏攸は病死し、劉虞は公孫瓚討伐の軍を起こすが、返り討ちにあった。
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【三国志13】韓玄 の武将能力値紹介

韓玄(カンゲン) 統率22 武力33 知力7 政治4 後漢の長沙太守。【演義】魏の武将・韓浩の兄。赤壁の戦いの後、関羽の攻撃を受け、楊齢に迎撃させるが返り討ちに遭う。次いで黄忠に迎撃させるが、お互いに義を尽くしてまともに戦おうとしないのを見て、内通していると疑う。黄忠を捕らえて処刑しようとするが、配下になっていた魏延に阻まれ斬られた。劉備軍と曹操軍の漢中攻防戦で、弟の韓浩は黄忠に復讐戦を挑むが、斬られた。【正史】赤壁の戦いの後、劉備が荊州南4郡に侵攻した時、降伏した。韓浩との関係については触れられていない。
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【三国志13】郭嘉 の武将能力値紹介

郭嘉(カクカ) 統率84 武力15 知力96 政治84 曹操の参謀。郭奕の父。【演義】程昱の推挙で曹操に仕え、自身は劉曄を推挙する。劉備が曹操を頼った時、荀彧と程昱が劉備を斬るように進言したのに対し、劉備を斬ると人心を失うと諭した。官渡の戦いの前、曹操には袁紹に勝つ十の勝因があると説き、袁紹よりも呂布の討伐戦を優先させた。その後も孫策の早世を予言し、袁家の滅亡も正確に見抜くが、袁尚討伐戦の途中で病に倒れた。赤壁の敗北後、「郭嘉がいればこんな負け方はしなかった」と曹操を嘆かせた。【正史】謀臣・戯志才の後継者として荀彧に推挙された。
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【三国志13】王忠 の武将能力値紹介

王忠(オウチュウ) 統率39 武力57 知力21 政治27 曹操の武将。【演義】徐州を占拠した劉備を劉岱と共に攻撃。関羽に捕らえられるが劉備に釈放され、曹操へのとりなしを頼まれる。許昌に帰還すると激怒した曹操に殺されそうになるが、孔融の助言で爵位や俸禄を剥奪されただけで助かった。【正史】婁圭が守る荊州を攻めた後、曹操に帰順した。若い頃、飢えに苦しみ、その話を聞いた曹丕から物笑いの種にされた。
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【三国志13】袁胤 の武将能力値紹介

袁胤(エンイン) 統率32 武力14 知力39 政治41 袁術の甥(正史では従弟)。【演義】袁術の死後、棺と妻子を守って廬江に逃れる途中で殺された。玉璽も奪われ、曹操に献上された。【正史】袁術から丹陽太守に任命されるが、孫策に追い払われた。袁術の死後、寿春を放棄して劉勳を頼った。
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【三国志13】歩度根 の武将能力値紹介

歩度根(ホドコン) 統率64 武力73 知力50 政治49 鮮卑族の大人(首領)。檀石槐の孫。魁頭の弟。【演義】記述なし。【正史】兄・魁頭の死後、部族の指導者となる。曹丕が帝位に即くと使者を遣わして馬を献上し、王の称号を授かった。軻比能が歩度根の次兄・扶羅韓を殺してその手勢を収めたため、長年敵対関係にあったが、曹叡の代に和睦。軻比能と組んで并州を侵略するが、魏の驍騎将軍・秦朗に敗れ、最後は軻比能に殺された。
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【三国志13】費禕 の武将能力値紹介

費禕(ヒイ) 統率77 武力30 知力83 政治92 蜀の官僚。諸葛亮、蒋琬、董允と共に蜀の「四相」。【演義】劉璋に仕えた後、劉備に仕える。諸葛亮の南蛮征伐に同行し、北伐では郭攸之、董允と共に内政を担当。諸葛亮の死後は魏延の反乱を収束させ、尚書令として大将軍・蒋琬を補佐した。魏で司馬懿が政権を握り、その混乱に乗じて姜維が北伐を起こそうとすると、反対した。【正史】蜀遊学中に劉備が蜀を平定し、そのまま劉備に仕えた。蒋琬の死後、大将軍に就任。244年、漢中に侵攻した曹爽の大軍を少数の兵で撃退。253年、正月の祝宴で魏からの降将・郭循に暗殺された。董允とは親友。
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【三国志13】董衡 の武将能力値紹介

董衡(トウコウ) 統率73 武力70 知力41 政治36 曹操の武将。【演義】樊城の戦いにおいて、于禁の指揮下で援軍を率いた将の一人。新参の龐徳が先鋒に任じられると、龐徳の旧主である馬超が劉備に仕えていることなどを理由に、信用すべきでないと進言した。関羽の水攻めで劣勢になると降伏を勧めるが、怒った龐徳に斬られた。【正史】龐徳の指揮下で樊城を救援、劣勢に立たされて降伏しようとしたところを龐徳に斬られた。
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