三国志13

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【三国志13】張燕 の武将能力値紹介

張燕(チョウエン) 統率76 武力81 知力57 政治48 黄巾の乱に呼応して蜂起した黒山賊の将。元の名は褚燕で、張牛角の後を継いで黒山賊の首領となり、張燕と改名。強くて敏捷だったことから「張飛燕」と呼ばれた。【演義】都を追われ袁紹の庇護を受けていた呂布に敗れる。滅亡寸前の公孫瓚から援軍を要請された時は、使者が袁紹に捕まり、救援できなかった。その後、曹操が袁尚を駆逐して冀州を平定すると、曹操に降伏。楽進、李典と共に壺関に籠もる高幹を攻めた。【正史】黄巾の乱後、一度朝廷に降伏するが、董卓の長安遷都後に再び挙兵し、公孫瓚と結んで袁紹に対抗した。
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【三国志13】曹純 の武将能力値紹介

曹純(ソウジュン) 統率75 武力71 知力63 政治35 曹操の武将。曹仁の弟。【演義】赤壁の戦いの後、曹仁と共に南郡を守った。周瑜の攻勢を幾度か退けるが、周瑜の偽葬儀にだまされ、おびき出されたところを撃破された。その間、南郡は劉備軍の趙雲に奪われた。【正史】精鋭騎兵「虎豹騎」を率いる。南皮包囲戦では袁譚を討ち、白狼山の戦いでは烏丸の蹋頓[トウトン]を捕らえた。長坂の戦いでは劉備軍を追走し、物資や敗残兵を接収。赤壁の戦い後は、曹操に従って譙[ショウ]に帰還し、間もなく死亡。学問好きで学者を敬愛した。
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【三国志13】鍾離牧 の武将能力値紹介

鍾離牧(ショウリボク) 統率78 武力72 知力73 政治71 呉の武将。鍾離緒の子。【演義】記述なし。【正史】建安、鄱陽、新都三郡で山越族が起こした反乱を平定。頭目だった黄乱、常倶らを屈服させて功績を上げた。263年、魏が蜀を滅ぼすと、国境の武陵郡に太守として赴任し、魏と結託した五渓の異民族を制圧。その功績により公安の督となり、その後、濡須の督に転任した。
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【三国志13】朱異 の武将能力値紹介

朱異(シュイ) 統率70 武力73 知力61 政治45 呉の武将。朱桓の子。「呉の四姓」朱家の出。【演義】魏の諸葛誕が反乱を起こした際、孫綝の命を受けて諸葛誕の救援に向かう。しかし、王基、鍾会、司馬昭に連敗し、激怒した孫綝に斬られた。【正史】孫権と戦略について論じあい、噂以上に胆が座った人物と称賛された。252年、魏の胡遵や諸葛誕が東興に攻め寄せた際は、水軍を率いて迎撃し大勝した。257年に大都督となり、寿春で蜂起した諸葛誕の救援に向かうが、兵糧切れで撤退し、孫綝の怒りを買う。帰還中、陸抗の制止を振り切って孫綝と会い、その場で斬られた。
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【三国志13】虞姫 の武将能力値紹介

虞姫(グキ) 統率31 武力18 知力82 政治79 項羽の愛人。常に項羽の傍にあり、片時も離れることはなかった。項羽が垓下[ガイカ]の地で大敗した時、足手まといにならぬようにと、自ら命を絶った。
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【三国志13】強端 の武将能力値紹介

強端(キョウタン) 統率65 武力83 知力48 政治30 陰平の氐族の酋長。【演義】記述なし。【正史】217年、漢中攻略に乗り出した劉備は、張飛、馬超、呉蘭らを下弁に派遣し、曹洪と対峙した。翌年、呉蘭は曹洪に破れ、3月には張飛、馬超らは漢中に敗走する。その際、強端は呉蘭を斬り、その首を曹洪に届けた。のちに蜀将・馬岱が魏を攻めて牛金に撃退された際、武都氐族の苻双と共に6千人を率いて魏に降った。
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【三国志13】呉景 の武将能力値紹介

呉景(ゴケイ) 統率69 武力66 知力52 政治65 孫堅の妻・呉氏の弟。孫策、孫権の叔父。丹陽太守。【演義】幼くして両親と死に別れ、姉と共に銭塘に移住。揚州刺史・劉繇に攻められるが、孫策に助けられる。【正史】孫堅に従って戦功を挙げ、袁術から丹陽太守に任ぜられ、周昕を討伐して任地に入る。劉繇が勢力を拡大すると袁術の下に戻り、孫賁[ソンホン]と共に笮融、薛礼と戦った。その後、袁術から広陵太守に任ぜられるが、袁術が皇帝を自称すると、孫策の下に戻り丹陽太守になった。
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【三国志13】侯音 の武将能力値紹介

侯音(コウオン) 統率76 武力72 知力45 政治28 魏の将。【演義】記述なし。【正史】曹操配下として、関羽に備えるべく宛城を守備していた。しかし、過酷な軍務に苦しんでいた南陽郡の領民を救済するため、衛開とともに関羽と手を結び、魏に対して反乱を起こす。この時、南陽太守・東里袞を捕らえたものの、配下の宗子卿の説得を受けて釈放している。その後、四散した敗残兵を集めた東里袞に宛城を取り囲まれ、関羽の援軍を待つが間に合わず、曹仁率いる魏軍に敗れ、斬られた。
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【三国志13】牛輔 の武将能力値紹介

牛輔(ギュウホ) 統率38 武力60 知力21 政治26 董卓の女婿。後漢の中郎将。【演義】何進の命令で董卓が上京した際、陜西[センセイ]の守備に留まる。王允と呂布の企みで董卓が殺されると、仇を討つために李傕、郭汜、張済、樊稠らと長安に攻め込む。しかし、呂布に敗れ、数名の側近と共に財宝を携えて逃亡している途中、腹心の胡赤児に殺された。【正史】董卓の存命中は陜に駐屯し、李傕、郭汜、張済に陳留、潁川の攻略を命じる。董卓の死後、李傕らが戻る前に、呂布から派遣された李粛を破る。その夜半、陣中で騒ぎが起き反乱と錯覚。逃走中、胡赤児らに殺された。
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【三国志13】関索 の武将能力値紹介

関索(カンサク) 統率74 武力88 知力56 政治47 関羽の三男。【演義】関羽が荊州で敗死した際に負傷し、鮑家の荘園で療養していた。諸葛亮の南蛮討伐戦に先立って復帰し、先鋒となる。たびたび孟獲を捕らえる作戦で活躍した。【正史】記述なし。「花関索伝」など関索を題材とした民間伝承は多く存在し、京劇の題材にもなっている。四川省に現存する鮑三娘墓には、関索とその妻・鮑三娘が葭萌関を守ったと記されている。
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