三国志13

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【三国志13】何曾 の武将能力値紹介

何曾(カソウ) 統率39 武力27 知力70 政治78 晋の丞相。【演義】司馬昭の後継ぎに長男・司馬炎を推す。司馬昭が晋王となると丞相となった。【正史】毌丘倹が反乱を起こした際、連座でその孫娘も罪に問われたことを不憫に思い、嫁入り後は夫の家の事情によるべきだと法律を定めた。礼儀作法にうるさく、好き勝手振る舞う竹林の七賢の一人・阮籍を批判した。司馬炎に信頼され、司馬炎が王位を継ぐと丞相となった。奢侈で有名。
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【三国志13】孔伷 の武将能力値紹介

孔伷(コウチュウ) 統率26 武力16 知力68 政治78 後漢の予州刺史。【演義】曹操の董卓討伐の呼びかけに応じた諸侯の1人。【正史】人物批評や清談高論が得意で、息を吹きかければ枯れ木に花を咲かせると言われた。一方で、軍隊の指揮官としての才能はなく、雨露に耐える勤労には向かないと評される。董卓政権下で予州刺史に抜擢されるが、袁紹らと共に董卓討伐戦に参加し潁川に駐屯。しかし、軍の指揮は臧洪に任せ、他の諸侯と同様、董卓の軍勢を恐れて進軍しようとしなかった。
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【三国志13】紀霊 の武将能力値紹介

紀霊(キレイ) 統率78 武力83 知力51 政治48 袁術の武将。重さ50斤の三尖刀の使い手。【演義】荀彧の駆虎呑狼の計によって攻め寄せた劉備軍を迎撃する大将となり、関羽との一騎討ちで互角に渡り合う。劉備が呂布に下邳を奪われた後、袁術が劉備討伐戦を起こした際も討伐軍の大将となるが、呂布の仲裁によって兵を退く。その直後の呂布討伐戦にも加わるが、楊奉と韓暹の裏切りで敗れる。皇帝となった袁術が勢力を失って袁紹を頼った際、劉備軍の攻撃を受け、張飛に討ち取られた。【正史】劉備を攻め、呂布に仲裁された記述があるのみ。
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【三国志13】賀斉 の武将能力値紹介

賀斉(ガセイ) 統率82 武力71 知力82 政治64 呉の武将。賀達、賀景の父。賀邵[ガショウ]の祖父。【演義】記述なし。【正史】若い頃、山越と結託して悪事を働いた斯従を討伐し山越から畏敬される。孫策が会稽太守となると支配下に入った。各地の反乱平定に尽力し、建平県、始新県、新都郡などを新設。偏将軍、奮武将軍などを歴任し、陸遜と共に鄱陽の反乱を平定すると安東将軍を拝命した。豪華ないでたちを好み、自らの軍に上質で派手な軍装を装備させた。曹休軍はその威容を見ただけで軍を帰したという。後に後将軍、徐州牧まで昇進した。
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【三国志13】嬴政 の武将能力値紹介

嬴政(エイセイ) 統率97 武力61 知力89 政治95 秦の始皇帝。荘襄王の子。秦の第31代国王。早世した父を継ぎ、13歳で秦王となる。当初は呂不韋[リョフイ]の補佐を受けていたが、成長してからは実権を掌握。法家の李斯を起用して国力を整える一方、韓、趙、魏、楚、燕、斉の六国を滅ぼして中国を統一した。統一後は「皇帝」の称号を作り、郡県制の導入、度量衡の統一、道路網整備など、数多くの改革を断行。封建制に代わり、法治による中央集権を目指すが、その強硬な専制政治は民衆に多くの負担も与えた。不老不死を望み、地方を巡行中に病没。そのわずか4年後に秦も滅亡する。
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【三国志13】任峻 の武将能力値紹介

任峻(ジンシュン) 統率67 武力60 知力53 政治41 魏の将。【演義】曹操が献帝を許昌に迎え、朝廷の後ろ楯を得ると、典農中郎将に任ぜられた。官渡の戦いでは、補給部隊を統率し、袁紹からの猛攻を防いだ。【正史】屯田制の運用を担当して成功し、曹操陣営の軍事的・政治的強化に大きく貢献した。
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【三国志13】周昕 の武将能力値紹介

周昕(シュウキン) 統率65 武力62 知力73 政治65 会稽太守・王朗の武将。周昂の兄。【演義】江東に進出した孫策軍との緒戦で黄蓋と戦った。その後、孫策の計略にかかって厳白虎と共に城を出たところを、待ち伏せしていた孫策のひと突きで討たれた。【正史】陳蕃[チンバン]に師事して学問を修め、風水や災害予知を得意とした。丹陽太守となり、董卓軍の徐栄に敗れた曹操が揚州で募兵した際は、揚州刺史・陳温と共に支援した。その後、袁術に派遣された呉景に丹陽を奪われ、会稽太守・王朗を頼る。孫策が会稽郡に来襲すると、迎撃するが敗れ、斬られた。
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【三国志13】呉起 の武将能力値紹介

呉起(ゴキ) 統率94 武力66 知力95 政治96 戦国時代、楚の宰相。兵法家。はじめ魯に仕えたが、主君に疎まれて出奔した。次に魏の文侯に仕え、西河太守となる。諸国と歴戦して無敗を誇ったが、文侯没後の政争に敗れると、楚への亡命を余儀なくされた。その後、楚の悼王[トウオウ]の知遇を受けて宰相に就任。王の期待に応えるべく、法体制の整備や貴族特権の廃止など、大胆な改革を断行し、楚の軍事力を飛躍的に向上させた。しかし、この政策が貴族の恨みを買うこととなり、悼王没後に暗殺された。著書の「呉子」は「孫子」と並ぶ兵法書として後世に伝えられている。
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【三国志13】郭援 の武将能力値紹介

郭援(カクエン) 統率66 武力73 知力36 政治33 袁尚の武将。【演義】記述なし。【正史】袁紹の死後、袁尚から河東太守に任ぜられる。高幹と共に曹操軍の平陽攻略を図るが、汾水[フンスイ]を渡りきらないうちに鍾繇と馬超(張既の説得に応じた馬騰から派遣された)に攻められ、龐徳に斬られた。
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【三国志13】吾彦 の武将能力値紹介

吾彦(ゴゲン) 統率74 武力72 知力77 政治69 呉の建平太守。【演義】晋が呉討伐戦を起こすと、呉の諸将の多くが降伏する中、最後まで戦い抜き、呉の滅亡を知ってはじめて降伏した。【正史】西陵の歩闡が晋に寝返った際、陸抗の指揮の下、左奕、蔡貢らと討伐軍に加わる。長江を流れてくる木くずを見て、晋が呉を討伐するために造船を進めていることを察知。孫皓に建平の兵員増加を打診するが断られた。晋に仕えた後、金城太守、南中都督、交州刺史を歴任した。
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