三国志13

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【三国志13】華歆 の武将能力値紹介

華歆(カキン) 統率33 武力33 知力82 政治83 後漢の豫章太守。後に孫策、曹操に仕える。【演義】江東に進出した孫策に降伏した。赤壁の戦いの後、孫権の使者として曹操の下に派遣され、そのまま留められる。その後、伏完の曹操暗殺計画が露見すると、曹操の命で伏皇后を捕らえた。曹操が死ぬと、献帝に位を譲るように強要して曹丕を即位させる。曹叡の代に太尉となり、反乱の疑いがあった司馬懿から兵権を奪った。【正史】孫策の死後、曹操に召され、魏建国後は御史大夫、司徒を歴任。演義では皇帝や皇后に狼藉を働く悪人だが正史では清廉な人格者。
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【三国志13】袁燿 の武将能力値紹介

袁燿(エンヨウ) 統率41 武力50 知力41 政治51 袁術の子。【演義】記述なし。袁術の死後、袁術の家族は袁胤に率いられ、廬江に逃れた途上で殺されたとあるのみ。【正史】袁術の死後、袁胤に率いられて劉勲を頼り、劉勲が孫策に敗れると捕虜となった。袁術の娘が孫権の後宮に入ると郎中に任ぜられた。
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【三国志13】逢紀 の武将能力値紹介

逢紀(ホウキ) 統率43 武力21 知力84 政治70 袁紹の幕僚。【演義】反董卓連合解散後、兵糧調達に苦しむ袁紹に、食糧豊富な冀州を奪うように進言。袁紹が韓馥を追放して鄴に入ると、冀州の行政を担当した。官渡の戦いでは慎重論を唱える田豊と対立。田豊が指摘した通りに袁紹軍が敗れると、田豊が袁紹を非難していると嘘をつき、田豊を殺させた。袁紹の死後は審配と共に袁尚を擁立。対立する袁譚派の策略で袁譚の陣に呼ばれ、袁尚に援軍を要請する書状を書くよう迫られるが、拒んで殺された。【正史】袁尚を支持した審配とも、最初は仲が悪かった。
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【三国志13】宋忠 の武将能力値紹介

宋忠(ソウチュウ) 統率32 武力33 知力63 政治55 劉琮の幕僚。学者。【演義】劉備の反対を押し切って無断で劉琮が曹操に降伏する際、劉琮からの密使となる。関羽に捕まって張飛に殺害されそうになるが、劉備に「殺すのは簡単だがこんな男を殺しては恥だ」とされ、解放された。【正史】劉表の代から仕える。曹操への密使ではなく、劉備を説得する使者になっており、劉備に剣を突き付けられたとされる。古典の学者として高名で、尹黙、潘濬ら多くの門人を抱えた。
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【三国志13】田楷 の武将能力値紹介

田楷(デンカイ) 統率68 武力65 知力58 政治61 後漢の青州刺史。【演義】徐州の陶謙が曹操に攻められた際、孔融や劉備と共に陶謙の要請に応じて徐州に向かった。【正史】公孫瓚から青州刺史に任ぜられ、劉備と共に袁紹と対抗する。袁紹が公孫瓚を攻めた際は劉備と共に斉に駐屯。袁紹派の曹操が陶謙を攻めた際は、やはり劉備と協力して陶謙を救援し、曹操の軍を退却させた。後に袁紹の長男・袁譚に撃破された。
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【三国志13】帯来洞主 の武将能力値紹介

帯来洞主(タイライドウシュ) 統率51 武力53 知力54 政治43 孟獲の妻・祝融の弟。【演義】諸葛亮率いる蜀の南蛮制圧軍が攻め寄せると、木鹿大王に救援を要請するよう孟獲に提案する。木鹿大王が敗死すると、孟獲や祝融を捕らえた振りをして諸葛亮に接近するが、偽りと見破られて孟獲ともども捕らえられる。解放された後、兀突骨を頼るように提案。しかし、兀突骨も討たれ、再度捕らえられると、孟獲や祝融らと共に諸葛亮に心服した。【正史】記述なし。
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【三国志13】秦朗 の武将能力値紹介

秦朗(シンロウ) 統率58 武力70 知力35 政治15 魏の武将。幼名は阿蘇。呂布の武将・秦宜禄の子。母の杜氏は曹操の側室となる。杜氏は関羽からも妻に望まれたことがある。【演義】前将軍として五丈原の戦いに参加。偽って蜀軍に降伏した鄭文[テイブン]と連携して夜襲を仕掛ける。しかし、諸葛亮に策を見破られ、討ち取られた。【正史】曹操から可愛がられ、若い頃は諸侯の間を遊び歩いたが、曹操も曹丕もとがめなかった。曹叡の代に驍騎将軍となり、并州で鮮卑の歩度根[ホドコン]が反乱すると鎮圧に向かった。五丈原で蜀軍と戦った記述はない。
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【三国志13】句安 の武将能力値紹介

句安(コウアン) 統率65 武力71 知力46 政治51 蜀の武将。【演義】姜維が雍州を攻める際、麹山城に二つ城を築き、句安と李歆に守らせた。魏の郭淮と陳泰が廖化を集中して攻め立てたため、姜維は廖化を救援し撤退する。孤立した句安は包囲され、水と補給路を断たれてしまう。李歆は包囲を破り、命からがら姜維の元に辿り着くが救援は間に合わず、句安は魏に降伏する。のちに鍾会の蜀討伐軍に加わっている。【正史】演義と同様に、蜀から魏に寝返っている。
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【三国志13】呉綱 の武将能力値紹介

呉綱(ゴコウ) 統率48 武力38 知力65 政治65 諸葛誕の武将。前漢の長沙王の16代目の子孫。【演義】魏の諸葛誕が呉の孫綝と結んで司馬昭討伐の兵を挙げた時、人質である諸葛靚(諸葛誕の子)に同行し、呉に向かう。孫綝に迎え入れられると、寿春に戻り諸葛誕に知らせた。【正史】発見された長沙王の遺体よりも背は低かったが、姿形はそっくりだった。孫綝に救援を要請した後、寿春に戻ったという記述はない。
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【三国志13】金旋 の武将能力値紹介

金旋(キンセン) 統率52 武力68 知力13 政治29 後漢の武陵太守。金禕の父。【演義】赤壁の戦いの後、劉備軍の攻撃を受ける。鞏志が止めるのを聞かずに出陣するが、張飛に敗れる。城に戻ろうとするが鞏志に城門を閉じられ、射殺された。【正史】漢陽太守を務めた後、一度都に戻り、中郎将に昇進して武陵太守を兼任した。劉備に攻撃されて死亡したとのみ記されている。
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