武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
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盧植(子幹) | ロショク(シカン) | 男 | 139 | 184 |
盧植の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
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78 | 63 | 82 | 85 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
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B | B | B | 公正無私 | 文化 | 攻撃命令 | 高論卓説 |
盧植の列伝
後漢の中郎将。劉備、公孫瓚の学問の師。盧毓の父。
三国志演義では
黄巾の乱が起こると、何進の命を受け、皇甫嵩、朱儁らと共に鎮圧に当たる。途中、劉備と再会するが、宦官の左豊に賄賂を贈らなかったため、罷免された。宦官討伐のため、何進が董卓を招こうとすると、反対。上洛した董卓が少帝廃立を提言した時も反対を貫いた。
正史では
鄭玄と同門の儒学者。「尚書章句」「礼記解詁[ライキカイコ]」などを著し、蔡邕と共に「後漢記」を増補した。黄巾の乱前は九江、廬江に赴任し、蛮族討伐で活躍。董卓と対立して免官された後、隠棲。