武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
---|---|---|---|---|
王昶(文舒) | オウチョウ(ブンジョ) | 男 | 188 | 207 |
王昶の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
---|---|---|---|
74 | 64 | 79 | 79 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
---|---|---|---|---|---|---|
A | B | A | – | 商業 | 槍兵扇動 | 天下名将 |
王昶の列伝
王渾の父。魏の征南大将軍。
三国志演義では
252年、孫権の死に乗じて司馬昭が呉を攻めた時、江陵方面の攻撃を担当。味方の胡遵が丁奉に敗れたため退却した。
正史では
王淩と並ぶ名士で、王淩を兄として仕えた。曹丕の太子文学となり、曹丕即位後は洛陽の荒地開拓に従事して兗州刺史に昇進。曹叡が人材推挙の詔を出した時、司馬懿から推挙された。毌丘倹の反乱を鎮圧して驃騎将軍となり、後に司空となる。法制度の寛容化を説いた「治論」や「兵書」などの著がある。